13.
みどりの森








「待ちなさいッ!んもう、アンタは、何でッ!」
「返せよッ!それは俺ンだッ!」

ナミの手からひったくるように奪い取り、ルフィはテーブルに下に隠れ、膝を抱えて身を丸めた。小さな手には、ぎゅっと握り込まれた羊皮紙。





戴冠式の後、何も言わずに魔法使いがいなくなったことはルフィにとって大きなダメージだったらしい。
「俺を置いてった」、「一緒に連れてってくれるって言ったのに」、捨て置かれた子供のように泣いた。
いつまでも泣き続ける小さな国王を宥めたのはゾロ、ナミ、チョッパーだった。
そのゾロがひと月後に、ルフィが少し落ち着きを取り戻した頃、突然城から姿を消した。
皆は最初、どうせ何処かで迷子になっているのだろう、と深くは考えなかったが、ナミがそれを見つけた。

ルフィのベッドの下に隠された紙。
『世話になった』、とだけ書かれたゾロの筆跡。
自らの意思で城を出て行ったことを知らされた。
ナミがどれだけ訊いても「これはゾロのだ」と、いくら問い詰めても「だから俺のものだ」、要領をえない。まだ字の読み書きができないルフィが、どうしてそれがゾロのものと知ったかもナミは理解できなかった。



教育係の者から、「いくら幼いとはいえ、予想以上に物事も礼儀も知らない。知っているのは樹や草などの名前だけ。あんな森の中で暮らしていたのでは仕方ないかもしれないが、これから教育にもっと時間を割いていただきたい。あんな高い所に上っている場合ではないと思うが」



世話係の者からは、「猿のように動きが活発で世話も容易ではない。戴冠式の後から始まった夜泣きは最近でこそ治まったが、5歳になってあれでは先がおもいやられる」、人数の増員を求められた。



給仕係の者からも、「食欲が旺盛なのは結構だが、いくらなんでも5歳にしては食べすぎだと思う。その割りにまったく太る様子もないのはおかしい。一度、医者に診てもらった方がいいのではないか」

これらの話を聞くにつれ、ナミの口からは深い溜息が漏れる。





あの日から、ゾロが姿を消してから、ルフィは城の天辺に上っている。
隙あらば猿のようにするすると登り、なかなか降りてこようとはしない。


「こ…、腰が抜けそうなほど高いわね…」
落ちたらルフィ、アンタの所為だからね、とナミは長いドレスをたくし上げ、ヒールの靴を脱ぎ捨て裸足で城の天辺に上ってきた。
風が吹き抜ける、高い高い塔の上。
雲ひとつない青空の下。

胡坐をかいて向けられた背中、ルフィは振り返ろうともしない。その傍に近寄り、背後から足を広げて座り、その間から小さな身体を包み込むように抱きしめた。


「何か見える?」
返事がないのを気にするでもなくナミは話し続ける。
「ここまで高いとよく見えるわね。怖いけど、すごく綺麗だわ」
そして遠くを指差し、
「あの一帯は小麦畑なの。7月になると一面金色に輝くのよ」


「その向う、山の麓では畜産が盛んだわ。遠くに見えるのはゴーライル山脈。あの山の向うは広大なムウナ砂漠。砂漠の民が住んでいる」
右を向いて、
「向うにきらきら輝いて見えるのはアンカレッサ湖。虹鱒の養殖はこの大陸一なのよ。身が肥えていてとても美味しいわ」


「左側の森の向うには市場があるんだけど、わかるかしら?あそこは交易が盛んなの。日曜日には大道芸人やらが集まるし、キャンディ売りや冷たい飴水は子供達に人気があるのよ」


「海はどっち?」


「市場の、その遠く向こうが海」
ナミの指差す方向を見つめた。
染めた髪もすっかり色を落とし、風に吹かれる柔らかな黒髪。その小さな頭に背後より顔を埋めて名前を呼んだ。


「ルフィ、ルフィ、小さなルフィ。大丈夫よ、心配しないで。あの二人はいなくなったけど、今度は私たちがあなたを守るわ」


「そして、大きくなったらあなたがみんなを守るの」


あなたはこの城の、この広い国の王様なのだから





おだやかに吹く風には秋の匂い。城を取り囲む、ちいさな森にもうじき秋が来る。










その後、国は栄えた。
大人になったルフィは、持ち前の勘の良さを生かして領土を広げ、この大陸全土を治める国王となる。
早くに結婚をして子供にも恵まれた。そしてその子供が16歳になり成人の儀を終えた翌日、城から姿を消した。
国王がいない天蓋付きの立派なベッド、その上に置かれた羊皮紙。
古ぼけた紙に書かれた文字。
『世話になった』と古いインクで書かれた裏に、大きな文字で
『ありがとう』の言葉。

国中に捜索の手が伸びたが、国王の行方は杳としてわからなかった。
そして国王が替わりまた代が替わっても、国は安定した暮らしを国民に与え、小さな小競り合いはあったが繁栄は続いた。






さらに月日は流れ、今ではこの大陸全土が森に覆われている。
森の一番深くを流れる川。
その川沿いに一面咲く白い花は、川の蛇行によって三日月のようにも見え、森の月と呼ばれている。
森は大きく枝を伸ばし、夏の暑さから動物たちを守り、秋にはさまざまな実りを与え、雪を遮り、春には新たな芽吹きを生んだ。

みどりの森。

これは、
この地に、
長く栄えた大きな国があったことや、

立派なお城があったことさえも、
今ではおとぎ話として語られるようなむかしの、
世界がまだ魔法を持っていた、





そんな、むかしむかしの話。


















END



2006/7.20