真夜中の後悔









"後悔"とは後になって悔やむことをいう。
そして、次こそは同じ間違いをしないよう気をつけようと思うのだ。が、そう思っていても同じことでまた後悔してしまうことが現実ではままある。
いくら気をつけていても。






「あれ?ゾロはこねえのか?」
酒を片手に胡坐をかいたルフィが訊いた。
夜9時、週末の夜。染井吉野が葉桜となり、八重桜が大きな花を惜しみなく散らす夜のことだった。
公園の桜がライトアップされ、そのあちこちで花見の席が設けられている。
「サンジ、お前ちゃんとゾロに言ったんだろ?今日やるって」
「俺?何で俺が言わなきゃなんねえ?」
サンジの素っ気ない返事をきいて、あ〜、また喧嘩しやがったとウソップは知らぬふりして酒を飲んだ。喧嘩の理由なんて知りたくもないし、ましてやそんな時に関わるとろくなことがないのを経験上知っている。なのに、
「しょうがねえな」とサンジには寛大で、自分には、
「ウソップ、何でお前が言っておかないんだ」
「友人ならちゃんとしなきゃね」
「今からでも遅くないと思うわ。連絡したほうがいいんじゃないかしら」
ねえ、ウソップさん。と、ビビにまで言われ、
何で俺?どうして俺だ?何故に俺に話を振る?
納得いかずに横目でちらりとサンジを見れば、知らぬ存ぜぬとそっぽを向いてまるで他人ごとだ。
どうしたものかとウソップは考える。早く呼べとまわりは言うが、呼べばサンジにねちねち嫌味をいわれるだろう。何かいい言い訳はないかと考えていると、ピンク色した大きな花びらが手元の酒に舞い落ちて、ウソップはあることを思い出した。
「アレ、そういや、奴は桜のアレルギーじゃなかったか?」
「はァ?桜アレルギー?」
「あのゾロがアレルギー?」
ルフィやナミが不思議そうな顔をすると、サンジが花びらを摘まんでひらひらさせながら口を開いた。
「ホントだぜ。あの阿呆は桜アレルギーなんだと。何でも桜の花びらに触れるとくしゃみが止まらなくなるんだとさ」
クソ生意気な。デリケートから一番遠いところにいやがるくせして。大体ヤツには桜を愛でる風情ってもんがねえんだ。馬鹿のくせに。阿呆のくせに。マリモのくせしやがってと、サンジがクソミソにいうところを見ると本当の話らしい。
それなら仕方ないと皆が納得して、よかったよかったとウソップも胸を撫で下ろして宴会が始まった。
ルフィとウソップは高校時代からのつきあいだ。もちろんゾロやサンジとも友人である。そのルフィとナミが実は知り合いで、ナミの大学時代の後輩がビビであり、ナミはゾロと勤めてる会社が同じ。そしてゾロとサンジが何故かお付き合いしている。そんな人間関係で集まった花見だった。
飲んで食って騒いでそろそろお開きという頃には深夜12時を回ろうとしていた。





「ルフィ、お前帰りはどうすんだ?」
ウソップが訊ねた。車で来たものはいないし、みんな酒を飲んでいる。ナミやビビもご機嫌で、サンジに至ってはべろんべろんに酔ってすでにおねむの状態である。おそらくナミやビビがいたので舞い上がってしまったのだろう。彼は男とお付き合いしているくせに病的なくらい女好きだ。
当然、行きと同じく帰りも電車だろうと考えたウソップに、ルフィから意外な返事がかえってきた。
「ああ、もうエースに迎えを頼んだ。ナミとビビは方面が同じだから一緒に乗せていく。ウソップ。お前、サンジを送っていってやれよな」
「え?こんな酔っ払いを俺ひとりで電車に乗せて持ち帰れってか?」
「馬鹿ね、ゾロに迎えにこさせるのよ。どうせ方面は一緒なんだしあんたも乗せてってもらえば?」
「桜アレルギーじゃ、こんなとこに来るわけねえ。あんな酒好きなのにこねえんだぞ」
「大丈夫よ、ウソップさん。桜に触れなければ発症しないのよね?車から降りなければ問題ないわ」
「や、でも…」
「それともアンタとお付き合いしてるっていう物好きなお嬢様に迎えに来てもらう?でもこんな時間じゃ寝てるんじゃないの?」
その通りだ。たとえ寝ていなくても、こんな夜中にカヤを呼び出すわけにはいかない。それにしてもこの女はひとこと多いのではないか。物好きは余計だろう。
『頭が良くて家柄も良く、すっげえ可愛いんだぜ。なのにこの俺とさ。ハハ、カヤも物好きだよなァ』、確かに言った。だが、自分から言うのはいいが他人から言われたくない。
「じゃあ、タクシーで…」
「馬鹿だなァ、ウソップは。サンジがいるんだからゾロを使えよ。それにタクシーだってこんな夜中じゃすぐに掴まるかどうかわかんねえぞ」
ならば、一緒に車で送っていってくれとウソップはすがりたいところだ。あのふたりと一緒になりたくない。
「そうよ、デザインスクールのしがない講師なんでしょ。残り少ないお金はもっと大事にしなきゃ。それに深夜は割増料金だわ」
これも言った。
『デザインスクールのしがない講師だけどさ、いつかは独立して造形で食っていきたいんだ。万年貧乏でやんなっちまうぜ、ハハハ』、言ったが言われたくない。しかも少ない金とは余計なお世話だ。人の財布の中まで口出しするな。ナミに文句を言いたいところをグッと我慢して事実で反撃した。
「そりゃ駄目だ。きっと奴はもう酒を飲んでるに違いねえ」
あの男は酒好きというよりも、車がガソリンで動くように酒で生きているとウソップは思っている。血液の代わりに酒が流れている男は、おそらくもう酒を飲んで寝ているに違いない。

「大丈夫。今日は飲んでないって」
「へ?」
「へ、じゃないわよ。さっき電話したらすぐに車で迎えにくるっていってたわ。すぐにこれればの話だけど」
クスリと笑った。
ナミは仕事が早い。この若さでチーフとして部下の男共を仕切っている女はさすがに違うと、感心してもいられない。
ゾロが来る。
ゾロが来て、酔っ払ったサンジと鉢合わせしてしまう。出来ればそこに立ち会いたくないウソップは足掻いた。
「じゃあ、ゾロが来るまで…」
でいいからみんなも一緒にいてくれないか。サンジを車に押し込んだら俺はひとり電車で帰る。それを伝えることなくクラクションが聞こえ、人を乗せた車が公園から走り去っていくのを見送るウソップの上に、濃い紅色の八重桜がはらはらと舞い降りた。





ゾロのアパートからここまで、車でおよそ20分くらいだ。深夜だから早ければ15分くらいで着くかもしれない。
普通の人間ならば、の話である。
一体、どんな卑怯な手段でゾロは運転免許を取得したのだろうか。適性検査は的確に行われているのか、いつから公道がこんな無法地帯になったのかウソップは不思議で仕方ない。
深夜なら15分で着く距離を、どこをどう走ったのかゾロが到着したときは深夜2時近かった。酒だって抜けてしまったし、終電だって行ってしまった。

そして車を待っている間、ずっと寝ていたサンジが眼を覚ました。
ゾロの車が到着する寸前に目を開け、むすっとした顔で迎えに来た礼もいわず、それどころかウソップと一緒に後部座席に乗り込み、偉そうに大きくふんぞり返った。

「迎えに来てもらった礼なんかいわねえぞ」
「阿呆。てめぇに礼を言ってもらったことなんか一度もねえ」
「へっ、そんなモン、お前だって欲しかねえよな」
何故かおもむろに靴を脱ぎ捨て、
「てめぇさ…」
運転席のシートに両足を乗せた。
「てめぇは俺が好きで好きで好きで仕方ねえんだろ?」
「はァ?」
「は、じゃねえよ。お前は俺に惚れて惚れてどうしようもねえんだよな?」
「お、お、お、おい、サンジ…」
いきなりなにを言い出すつもりだとウソップは止めるが、
「大好きな俺様の迎えにこられて幸せだろ?『ぼくァ、しあわせです』って言ってみろよ」
ほらほらと素足で、そして器用にも指ではさんで運転中であるにも関わらず、その頬を背後からぎゅうと抓りあげた。
「…痛っ!このっ」
「ゾロ!落ち着けっ!サンジ、やめ…」
「お、生意気に恥ずかしがってのか?俺が好きなくせに。好きで好きでたまらないくせに。お前は俺のことが世界で一番好きなんだよな、なんせむちゃくちゃ愛しちゃってるもんな」
「…てめっ」
「ゾロ、ゾロ、頼むから前をっ…」
ゲラゲラとサンジの高笑いが車中に響き渡り、車体が大きく揺れて急ブレーキの音と共にウソップが叫んだ。
「俺はまだ死にたくねええええええっ!」







「ゾロ、気持ちはわかる、すごく良くわかるぞ。だがな、酔っ払い相手にムキになってもしょうがねえ…」
やはり一緒に乗るんじゃなかった、いっそ歩いて帰ればよかった、野宿でもしたほうがはるかにマシだったとウソップは早くも後悔した。
深夜、前輪を歩道に大きく乗り上げ車が傾いている。
「この少し先にコンビニがあったはずだ。なんか飲み物でも買ってくるからおめぇら此処で待ってろよ」
少し頭を冷やせと、車を降りたウソップにゾロが声をかける。
「おいウソップ。そのコンビニで30分くらい時間をつぶしてろ」
「俺、缶チューハイな。あんま甘くないヤツ」
「お前は牛乳でも飲んどけ」
「てめぇが飲めや」
殴り合いでもなんでも気が済むまですればいいと、街灯の少ない暗い夜道を歩いてコンビニに向った。





本を2冊立ち読みして、缶コーヒーを3本抱えてウソップが車に戻ったら、後部座席にサンジがぐったりと寝そべっていた。後部のドアを開けて声をかけようとおもったら、ゾロから助手席に乗れと言われた。

へっくし。

ゾロがくしゃみをする。
へっくし、へっくしと連発して、鼻をぐすぐすと鳴らし、
「チクショ、やっぱ桜は体質にあわねえ」
花びらに触れなければ問題ないというゾロは、どうやらその花びらに触れてしまったらしい。
「ちっと窓を開けていいか?」
ウソップが頷くと、窓が開いてひんやりした夜風が車内に入り込んできた。
これで少しはにおいも抜けるだろう。ウソップは助手席から視線を夜の街へと向けた。
車内におかれた消臭剤をもってしてもにおうもの。男なら誰しも覚えのあるにおいだ。ダストボックスの中など絶対に見てはいけない。
後部座席から「…ん」と小さな声が聞こえた。
サンジが眼を覚ましたのだろうかと後ろを振り返れば、「あんまり見るな」とゾロに釘をさされてしまった。
うっかりと、見たくもないのに眼に入ってしまったサンジの大きくはだけたシャツから覗く胸元が白く悩ましい。
後ろのドアを開けたとき、眼に飛び込んできたものを思い出す。
みだれた着衣から覗く白肌。そしてぐったりとしどけなく投げ出された姿態をなんと表現してよいか。

へっくし。

またゾロがくしゃみをする。
赤信号で止まった時に車内灯をつけた。見れば緑色の頭髪のなかに桜が数枚くっついている。
それをとって窓の外に捨て、

へっくし。

くしゃみをするゾロのズボンのファスナー部分に花びらが挟まっていたのをウソップは見なかった振りした。
いっそ殴り合いをしてくれていればよかったのに。
しかし、あの状況からよくそんな気分になるものだ。まさかこうくるとは思わなかった、予想外である。いくら酒が入っているとはいえ、30分でサンジを落とせるゾロのテクニックを想像してウソップは心底ブルーな気分になった。

においも抜けてよかった、家に帰ったら風呂に入ってすべてを忘れて眠ろう。次回からもっと気をつければいいのだ。ヘンなものを眼や耳に入れないよう細心の注意を。
そして、この手の後悔は何度目かと頭で数えてみた。
へっくしとまだ止まらないゾロのくしゃみの回数より多いか少ないか。

へっくし。
へっくし。
へっくし。

さすがに後悔の数よりもくしゃみの方が多いだろうと思っていたら、また「うん…」と声が後部座席から聞こえ、
「大丈夫か、サンジ」
気分でも悪いのだろうかとルームライトをつけて声をかけると、夜目にますます大きくはだけた胸が目に入った。

あ、桜の花びらだ。

白い胸に濃淡がかった紅色の花びらが散っているのが見えた。
「だから、見るなといってるだろうが」
ゾロに後ろから首根っこを掴まれ、前に戻されてウソップは理解した。
これはゾロの花見、人の花を覗き見るのはよくないし、これに限っては見たくない。



「おい、ゾロ。その信号は左じゃねえのか」
「そうか。だけどこっちからでも帰れるよな」
右と左じゃ正反対だ。
「どうして、そこを曲がる?」
「曲がっておいた方がいいだろ?なんとなくだが」
なにを基準にそう思うのか。お前は標識というものを見ているのか。既に他県じゃないか。だがこんなことをいまさら口にしても仕方あるまい。


おうちがだんだん遠くなるー遠くなるー

懐かしいメロディが頭の中でリフレインして、「んん…」背後から余韻を含んだ色っぽい呻き、「へっくし」と繰り返されるくしゃみ、そしてウソップの溜息。3人を乗せた車は公園からも家からも離れて、見知らぬ夜道を遠い町へと進んでいった。








END



※リーマンパラレル第6弾です。ナミやロビンと温泉にいった少し後くらいだと思われます。
うちのウソップって、本当に気の毒…。扱い悪くてごめんなさい…。

2007/4.28