昨日今日明日








その冬、初めての雪だった。
白く小さい、霰のような雪が曇り空から舞い落ちた日、ザジは樽の後ろに隠れていた。
小さく身をまるめ、気配を消す。
「隠れてろ。俺に何があっても出てくるんじゃねぇぞ」
いつもゾロからそういわれていた。
終われば必ず声をかけてくれる。武器が交わる音や怒声、いろいろ聞こえてくるが心配ない。ゾロはとても強いとザジは知っている。

「おい。ザジ」
呼ばれて、丸まったザジの背中がピンと伸びた。
声のする方を見れば、何故かゾロが地面に座り込んでいる。そして足に鉄の刃が食い込んで、服と地面を血で汚していた。
「ちょっとその鎖を引っ張ってろ。叩き斬っちまうから」

鉄で鉄を斬る澄んだ金属音とともに、ゴトリとゾロの足に食い込んでモノが落ちた。
「…痛い?」
ザジが訊ねると、「心配ねぇ」そういってゾロは少しだけ足を引き摺った。
空から落ちてくる細かい雪が地面をうっすらと覆う。
ゾロの足跡には赤い血がついている。自分の足跡は小さい。雪はどんどんどんどん落ちてくる。
振り返ったら、ふたりの足跡を消しゴムのように雪が白く消し去っていた。



その晩、ザジは夢をみた。
小さな部屋の中に自分がいる。そこで今から食事をつくる為に火を熾さなければならない。薪を割って、種火をかまどに入れた。
すると、あっという間に赤々とした炎が燃え上がった。
火がつくのが早い。
そう考えた後、ザジは思い出した。
かまどで火を熾したことがあっただろうか。
ゾロと住んでいるこの場所についているキッチンは、小さいけれど簡単に火がつく。船だって同様だ。ボロイ船だけど、かまどはない。
そうしているうちに、薪も入れてないのに炎がだんだん大きくなる。
急いで蓋をしても、その隙間から赤い炎がちろちろと燃えている。
寒い部屋で、温かいはずの火がとても熱く感じる。
炎が真っ赤だ。それは雪の上に残されたゾロの血のように赤い。



次の朝、ザジはおしっこで眼が覚めて、寒いからまたベッドにもぐりこんでゾロにしがみ付いた。
いつも温かいゾロの身体が今日はすごく熱い。
「ゾロ。熱いよ」
声をかけるが眼を覚まさない。また声をかけて、顔をぺちぺちと叩きながら、
「ゾロ?朝だ。朝だって、起きないのか?」
それでも眼は閉じられたままだ。触った顔もとても熱かった。
昼まで一緒のベッドで過ごし、腹が減ったザジはキッチンへ立った。
しわしわのじゃが芋と人参、玉葱を剥いて肉と一緒に鍋に入れた。他にも適当にあるものを入れる。味付けは岩塩だけだ。
ザジは背が届かないので台に乗って料理を作る。その台に乗っても鍋の中を見ることはできない。見えないから手探りで中をかき混ぜるが、気をつけないと鍋を焦がしてしまう。
ことことことこと、鍋から音がする。
外は昨日からの雪で真っ白で、まだ細かい雪が止まない。

「ゾロ。御飯ができた」
ほうろうの皿を2枚並べて、固いパンをナイフで切りテーブルに置いてまたゾロに声をかけた。
「御飯だ。ゾロ、まだ眠いのか?」
何度呼んでも返事がないので、ザジはひとりで御飯を食べたが美味しくない。いつも自分が作るのは不味いが、いつにも増して不味く感じる。
ぱさぱさのパンをスープで流し込むように腹に入れた。



午後になると、また雪が激しくなってきた。
風も出てきたらしく、窓ガラスがガタガタ鳴る。
「ゾロ。雪がごんごん降ってる」
教えても返事がない。
することがないので絵本を読んだが、何故かいつもよりもつまらないような気がする。音読する声が少しずつ小さくなって、最後にぱたりと本を閉じた。雪はまだ止まない。
夜になって残りのスープとパンを食べ、ゾロの皿も用意したが目が覚めることはなかった。
雪が降る夜は寒くて、ザジはいつもより早くベッドに入った。ゾロの隣に身を丸めたが、まだ身体が熱い。
窓がガタガタ鳴って風の音も聞こえる。
明日は雪がやむといい。
ゾロが眼を覚ませばいいと、毛布に包まって眠りについた。





次の朝、目が覚めると息がまっ白になっていた。
暖炉の火が消えている。どうやら昨夜のうちに燃え尽きてしまったようだ。
「ゾロ。火が消えてる」
呼びかけたがやはり返事がなく、寒くてしばらくベッドに潜っていたが、鍋に火をつければ少し部屋が暖かくなるだろうとキッチンに向かった。
寒いのでまたベッドに入っていたら、鍋を焦がしてしまった。
窓から外を見ると、粉雪がはらはらと散っている。雪は積もっているが、これなら外出できるとザジはコートを羽織った。
食料がないからだ。
パンもないしチーズもミルクもない。
ゾロが起きても食べさせてやれるものがない。
買い物用の財布を手に、ザジは街へと出て行った。


灰色の古びた街が白く染まっている。
いつもゾロと歩いている道だが、広く大きく感じるのはきっとひとりだからだろう。
店に入って肉を買おうとしたが品切れだという。これはよくあることだ。
ならば魚にしようと市場に向かった。
するとここも魚がほとんどなくて、聞けば『しけ』で魚が揚がらなかったという。
「坊主。この魚のアラをかあちゃんに煮込んでもらえ。だしが出て旨いぞ」
そう袋に魚の切れ端を分けてもらった。
戻る途中でパンとチーズ、ミルクと野菜を手に入れようとザジは少しぬかるんだ雪道を歩く。転ばないよう気をつけなければならない。
焼きたてのパンと山羊のチーズ、ミルクを瓶で買って最後に八百屋に行った。荷物を抱えたザジを見た店のおかみが、
「おやまあ、すごい荷物だね」
笑って小さな椅子をザジの前に置き、
「荷物はここに載せておくといいよ。で、何が欲しいんだい?といってもロクな野菜はありゃしないけどね。だけど八百屋だよ」
アハハハと、今度は豪快に笑った。
芽が出て萎びたじゃが芋と玉ねぎを一袋。そして乾燥した茸を買って、「魚の『アラ』を貰ったけど、どう作ったらいい?」、おかみに訊ねた。
「アンタが作るのかい?」
頷くと、ちょっと待ってな。と奥にいって小さな瓶と乾燥した葉っぱを持ってきた。
「夏に作ったピクルスとハーブだ。ケイパーとか月桂樹、それと粒胡椒。まずはね…」
詳しく作り方を教えてくれたが、どうもザジには解からない。それがおかみに伝わったのか、
「ああもう、細かいことはいいやね。面倒だ。とにかく煮ちまいな。この粒胡椒が柔らかくなるまで煮るんだよ」
大雑把に教えてくれた。
荷物を抱え、店を出ようとすると入れ替わりで入ってきた客が、八百屋のおかみに話しかけた。
「訊いたかい?亡くなっちまったっていうじゃないか」
「ああ、靴屋のオヤジだろ?あたしゃ訊いてビックリしたよ。昨日、ウチにきたってのに」
「心臓でも悪かったんかねぇ…。夕べは寒かったし。ベッドで眠るように死んだっていうじゃないか」
それを聞いたザジの心臓がどくんと嫌な音を立てた。
店を出ようとするザジに、
「あ!水は入れすぎるんじゃないよ!ひたひたでいいんだからね!」
声をかけ、振り向こうとしたら雪に足を取られて、そのまま転んでしまった。
じゃが芋や玉葱がころころと道に転がる。
慌てて拾って、そのまま駆け出したザジに、八百屋のおかみが大声で何か叫んだ。
その呼びかけも、濡れて汚れたズボンを気にするよりも、ザジは真っ直ぐ部屋へと走った。





部屋に戻り、荷物を床に置いたままゾロの元へいった。
朝と変わりがない。昨日とまったく同じ状態だ。
走ったからか、まだ胸がどきどきする。
ゾロの顔をぺしぺしと叩く。
起きろと叩くが反応がない。
すごく心細くなって、顔に顔をくっ付けたらスースー風が吹いているのに気づいた。
顔を撫でると鼻から空気が出ている。自分の鼻を触ると同じように風が出る。
すると、突然ゾロがぴくりと動いた。
冷えた小さなザジの手に、擦り寄るようにゾロの顔が動く。
すぐに掌はゾロの顔と同じくらい熱くなって、また鼻を触って確認してからザジは手を離した。



八百屋のおかみに教えて貰ったように、ザジはキッチンで料理をする。
炒めるときに鍋の中は見えないが、それでも焦がさないよう音と匂いに注意した。
粒胡椒が柔らかくなって、皿を2つ並べ、ゾロを呼ぶ。
「御飯が出来たよ、ゾロ」








ゾロが眠りについて3日目の朝、ザジは外で洗濯をした。
水が氷のように冷たい。石鹸はなかなか泡立たないし、指がじんじん痺れてまるで自分のものじゃないみたいだ。
部屋の中に洗濯ものを干して、その冷たい両手をゾロの顔につけた。昨日のように擦り寄ってくることはなかったが、少し気持ち良さそうなのは気のせいだろうか。
ザジは夕べよく眠れなかった。
そんなのは初めてのことだ。何故か寝てもすぐに眼を覚ましてしまう。だからゾロの鼻を触る。摘まんで、風が出てるなあと思うと、いつの間にか眠ってしまうが、また眼が開いてしまう。
そしてまたゾロの鼻を触る。



御飯をひとりで食べるのにまだ慣れない。
いくら呼びかけてもゾロは寝ているし、返事もない。だからザジは今日、誰とも話をしていないのだ。
言葉を忘れそうで少し怖い。
だからまたゾロの鼻を触った。

触って、摘まんで、撫でて、鼻の天辺が少し赤くなったが、きっと自分の所為じゃない。
触りながら、眼が覚めたら話すことを考えたが、うまくまとまらなかった。
でもひとつだけ。

今日のスープはいつもより旨いはずだと、眼が覚めたら自慢しようと思う。
やはり食事はふたりのほうが美味しい。















END





※ザジ、番外編です。ノースブルーにおける書き忘れ部分を少し拡大しました。間で手短に挿入するつもりだったのに、すっかり失念してしまいましたです…。ここの部分がラストとリンクしていたんですが…。実はもうひとつ書き忘れたのがあるんですけど、なんかもういいかって気分です。後はアホエロをアップしたら終了予定です。
ここまでお読みくださった方、長々とお付き合いくださいまして、本当にありがとう!



2007/9.13