星にねがいを 5








「人が着た服みたい。なんか気持ち悪いわ」
埃を落とすような仕草で、パンパンパンパン全身を叩くと、
「んんーーーーーーーーー、やっぱり自分の身体が一番ね!」
ナミは青空にむかって、大きく背伸びをした。
「良かった良かった、元に戻って本当に良かったよ」、チョッパーは素直に喜び、
「そうか?そんなに変わんねぇよな?」、率直な感想を口にしたルフィは本気のグーで殴られた。



キッチンからことこと朝餉の匂いがする。
今日はウソップが配膳を手伝っているようだ。
洗い物や皿を並べながら鍋の蓋をあけ、勝手にスープの味見をして、
「ん?ん、ん?」
首を傾げ、
「いや、旨い、旨いぞ。旨いけどが、なんか物足りねぇような…」
彼は何かを思いついたようにポンと手を打った。
そしてその鍋にタバスコパンチを投げ込もうとする直前、サンジに蹴り飛ばされた。
「ドアホッ!!!俺にとどめをさす気か?ふざけんなっ!」
今朝のコックの作る料理は、香辛料とか刺激物が入っていない、胃や腸にやさしい身体が温まる料理だった。


午後になると、キッチンからはおやつの匂いが漂ってくる。
甘い香りのするキッチンに、今度は何故かゾロが居つき、手伝うでもなくただ料理するのを見ていた。いや、仕事というよりも何故かコックを見ている。
料理する手を休めずに、サンジが訴えた。

その眼はセクハラだ。レディならそれだけで孕んじまうくらいいやらしい。男なんか見てどこが楽しいのか、そう問われてゾロは抗議した。

いいや、いやらしいのはお前自身で、俺の眼ではない。それとこれは忠告だが、皆の前ではスーツの上着は脱がない方がいい。前に敵船に襲われた時、何故か俺を庇って水飛沫を浴びたが、あれはいやらしかった。身体にシャツが張り付いて、身体の線やらなんやらが浮き出て、とてつもなく淫らだった。少しは自覚を持ったらどうだ。

なんてことを真剣な顔で、怒ったように言われ、

そんなものに欲情する奇特な男は、グランドライン広しといえどお前だけだ。それにだれがお前なんか庇うか、ナミさんのお身体が心配だっただけだ。

舌打ちして、嫌そうに言葉を吐き捨てながらも、背後から見えるサンジの耳がほんのり赤くなった。
テーブルの上には飾り付けが終わったばかりの丸いフルーツタルトが置かれてある。
丁寧に一切れづつ切り分けるサンジの指に、とろっと甘いシロップがついてしまった。
作業が終わるのを見届けるや、ゾロはサンジの手首を掴み、そのフルーツの匂いがする甘い指を口に含んだ。
「甘めぇ…」
そういって、ムッとしたように眉を潜めた。
「嫌いなら無理することはねぇぞ」
「いや、甘いのは別に嫌いじゃねぇ。蜂蜜とか」
指から口を離すと、今度は顎を掴んでそのまま唇をつけた。微かに開かれた唇を舌で割る。
シロップの甘さがサンジの口まで流れ込んできた。
「なんで蹴らねぇ?」
ゾロが少しだけ口を離した。
「蹴られてぇのか?」
「いや、蹴られる予定はねぇ、だがなんで文句を云わない?」
「罵られてぇと?」
返事をせずにそのまま口を閉ざした。
もちろん蹴られたい訳などあろうはずがない。文句はというと、もちろんそんなものは言われたい筈もないが、大人しいコックはコックのようだがコックでなく、知っていたのに忘れていた別の誰かみたいで、妙に気持ちが落ち着かない。
すると、
「お前さ、俺と喧嘩してぇんだろ?」
サンジがすっと眼を細めた。
ゾロは驚いた。そう言われると、そんな気がするから不思議だ。
「俺にかまって欲しいんだよな?」
さすがに頷くわけにはいかない。
サンジが小さく舌打ちするなり、
「…ったく、俺って奴はどこまで寛大なんだ。何でこんなに面倒見がいいんだか。毬藻だぞ、毬藻。こんなもろこし野郎にまでこんなに優しいなんて、自分の意外な一面に、俺様自身がサプライズだ」
そういって、ゾロの頭を両手で包み込むように掴んだ。
「実をいえば、俺は甘いのはあまり得意は方じゃねぇ」
その唇に噛みつき、「返す」と、すっかり甘くなった唇をゾロに押し付けた。

それから数日してのことだ。朝食は香辛料がたっぷり入った魚介スープ、おやつは辛いチリドックで、そして夕食にはこんがり焼きたてのスパイシーチキンが食卓に並んだその晩、男部屋から二人の姿が消えた。













きらめく星が、零れ落ちそうな夜、サンジが酒を手に、見張り台にいるゾロのもとへ顔を出した。
「よお、大剣豪のなりそこない。しけた面してやがんな」
「ふん、ほっとけ」
素っ気無い返事をして、彼はまた視線を夜空へと向けた。
鷹の目を追って一度は船を離れ、ようやく1年ぶりに戻ってきたメリー号は変わっていなかった。何も変わらないということは、妙にホッとするものだと、そんなことを考えながらまた星を見上げる。星座に詳しくないゾロにとって、どこで見てもどれを見ても星は同じにしか見えなかった。船乗りは星を大切にするけれど、ゾロにとって星はそこにあるから星でしかなく、重要な意味などなかった。だから、今もただぼんやりと見ていただけだ。

意を決し、ひとり船を降りたものの、ゾロは鷹の目がいるという地に辿り着くことができなかった。目的地には行くことができず、戻るにも時間を要し、結局のところ船を降りてから1年という月日が流れ、ナミから、
「だから一緒に行ってあげるっていったじゃないの!自覚が足りないからよっ!んもう、迷子札でも首からかけてやればよかった!1年もふらふら歩きまわって、いったいどこの魚の目やら鷹の爪と闘っていたのかしら!?」
きつい言葉で罵られた。

「会えなかったんなら、まだその時期じゃねぇってことだろ」
サンジがそういいつつ、ゾロに酒を渡して隣に腰掛けた。ナミに散々嫌味をいわれていたのを見ていた所為か、いつになく口調が優しい。
「ナミさんはな、あんなこといっても随分心配してたんだ。てめぇは知らねぇだろうが」
あれが彼女の愛情表現だから、有難く受け取っておくように、と言われても、やはり素直に受け取ることができない。
ムスッとした顔のままの剣士に、サンジが優しく話しかけた。
「で、何処をほっつき歩いてやがった?」
「うるせぇ、そういう言い方はやめろ」と横目で睨みながら、ゾロが語った。



西に巨人の住むという島がある。
そこに住む巨人は身体は山のように大きいけれど気は優しく、威嚇するかのような大声で怒鳴るが、実は小さな虫も殺せないほど彼らは穏やかな人種だった。その島にたどり着いたゾロは、森の中での足裏を怪我した巨人を助けた。医者ではないので治療をしたわけではない。ただ足の裏に刺さった枝を抜いてやっただけだ。すると、その御礼にと、一本の白い枝を貰った。
この枝は雨が降りそうになると色が変わる、とても不思議なものだとその時巨人から教えてもらった。邪魔だからいらんと一度は断ったものの、何かの役に立つかもしれないからと半ば無理やり渡され、それを持ってゾロは巨人島を後にした。


それは北西に位置する小さな島だった。
この島では迷信といってもいいようなことが、頑なに信じられていた。
一例を挙げると、
「3回しゃっくりが出てしまったら、目を瞑ってアイスを食べなければいけない」
「眼の前を2回猫が横切ったら、必ず来た道を戻ること」
「階段は数をかぞえながら昇らなければ、犬の糞を踏んでしまう」
「迷子になったら、その場で5回くるくると回る」
等々、それらにどんな意味があるのかさっぱり解からないが、迷子になって5回くるくる回らなかったゾロは宿が見つからずに困っていた。おまけに持たされた白い枝が青く変わってきている。もうすぐ雨が降るのかもしれない。
さて、どうしたものかと考えていると、一人の男がどうしたのかと声をかけてきた。
雨が降るのに宿が見つからず困っている、ゾロは正直に答えた。
すると男は空を仰ぎ見て、こんな青空で雨が降るわけがない、そういって笑ったものの、見る見るうちに空が灰色の雲で覆われ、風が吹いて大粒の雨がばらばらっと天から落ちてきた。
「おお、なんとしたことだ!本当に雨が降ったぞ!あんなに晴れていたのに!」
これはすごいと感心した男に「うちへ来い」と家へ招かれ、ほんの数日の滞在中に何度も雨を的中させたゾロは最後に村長の家へと招かれた。
そこで種明かしをして、白い枝を見せるや、「どうか譲って欲しい」と、村長から懇願された。替わりに『指南草』なるものくれるという。
すっと細長く、黄緑色したその葉は、たまに水を与えるだけで1年は枯れないと珍しいもので、いつも葉先が南を向いている。北に向けても西に向けても、いつの間にかまた戻ってしまうという。
いつでもどこでも、南を指す不思議な葉っぱ。
その葉を持ってゾロはその島を出た。

次に辿り着いた島で、その指南草を燃えるように赤い宝石に替えた。世にも珍しい炎の石だという。
その次の場所でそれを小船に変え、その次の島では、とゾロの話が続き、
「……てめぇは、わらしべ長者か…?」
呆れ果てたように、サンジの口からタバコがぽろりと落ちた。
「わらしべ長者?後もう少しだから話の腰を折るんじゃねぇ。そんで、そのまた次の島で、俺は望みが叶うという石、『王石』なるものを手に入れた」
「願い?何で大剣豪を望まなかった?」
「阿呆か、望むものじゃねぇ、あれは手に入れるものだ。とにかく、俺はその石でここに戻ってこれたわけだ」
「はァ?やっぱ馬鹿だよな?なら、何で鷹の目のいる場所に行けるように願いをかけねぇ?お前、どんだけ馬鹿なんだ?」
馬鹿だ馬鹿だと知ってはいたが、よもやここまで大馬鹿だとは、馬鹿の大将だと罵られ、ゾロはムッとしながら、
「馬鹿馬鹿いうな阿呆。仕方ねぇ、この船も気がかりだったし、どうしたものかと迷って、『一番大切な場所に』と願いをかけたら、帰ってきちまったんだから」
俺は悪くねぇ。全然悪くねぇ。文句なら石にいえ、そういってからゾロはサンジの肩に頭を寄せた。そんな行為も1年ぶりだ。
眼を瞑ったままじっとしていると、サンジが小さく溜息をついた。
「……本当に何やってたんだか…。ったく、ふらふら歩いてそこら辺の港町で、レディを孕ませるようなことしてねぇだろうな」
「そんなヘマはしねぇ」、そう返事したゾロはサンジに首を噛まれた。
「…いっ、いいいいいいいい、いっ、痛てぇだろうがああああ!」
「悪ぃ。久しぶりだからか?つい力加減をな」
「何が力加減だ!!」
怒鳴った後、
「お前こそ、また無駄な努力でもしてたんじゃあるまいな。釣られる女なんかいねぇだろうが」
するとサンジがニッと笑った。
「まさか1年前と同じだとでも?俺の武勇伝をきかせてやるか?」
ニヤニヤしながら返事したら、いきなり耳を噛まれた。
「あ、だ、だ、だ、だだああああ!千切れる千切れる!」
「いや、舐めるつもりだったんだが」
「何が舐めるだ!天と地ほどに違うぞ!!」
赤くなった噛み痕を確かめ、ゾロはまた耳を口に含んだ。
そんな久しぶりの行為がサンジは妙に気恥ずかしくて、それを隠すようにゾロに話しかけた。話題を変えたのである。

「お前さ、どんな女が好きなんだ?こんな話したことあったっけか?」
「俺か?」
ゾロは少し考えて、
「心が強い奴がいい。俺に負けないくらい。それと色気。金色の髪とか」
答えながら噛み痕の残る耳をまた舐める。サンジが嫌がって微かに身を捩った。
すると今度はゾロが訊ねた。
「お前は?お前はどんなのが好みだ?」
「俺?」
すると、よくぞ訊いてくれたと謂わんばかりに目を輝かせ、サンジが熱く語り始めた。
「いやさ、ナミさんやロビンちゃんはもちろん好みなんだけどな、昔からさ、ブルネットの長い髪がうねうねうねしてるようなお姉さま?色っぽくて唇が艶々しててさ、大人の色気ってやつ?そんでな、胸はでかいにこしたことはねぇが、こんな風に掌すっぽりサイズ?でさ、少し気は強いけど、本当は優しくてさ…」

噛まれた。

肩に近い首の付け根を、嫌というほどきつく噛まれたサンジは悲鳴をあげた。
「い、い、い、いていていていていて、いってえええええええ!」
痛みに呻きつつ、「…おい、血が出てねぇか?こんなに痛ぇのに舐めたつもりとか抜かしたらおろす!」、喚くサンジに、
「………しとけ」
「あ、何?マジで痛てぇ…、馬鹿が手加減てもんをしらねぇから…」
と、いつまでも文句を云い続ける男の顎に指をおき、
「俺にしとけ」
数本の顎ひげを玩びながら、
「ブルネットじゃねぇし、髪も長くねぇ。色気もなけりゃ胸もねぇ、もちろん優しさなんか欠片もねぇが」
それでも俺で我慢しろ。そういって、ゾロはサンジにキスをした。

そっと触れただけの乾いた唇。
伝わってくるのは微かなぬくもり。
それなのに身体を融かしそうなほどに熱く、心が震え、今まで交わしたどんな激しいキスよりも、それはサンジを痺れさせた。








稀に、ごく稀にではあるが。
本人が忘れた頃に、さも偶然をよそおってやってくるものがある。
星が願いを叶えてくれる。
だが、星のきらめきは遠く、遥か宙の彼方にあり、それは一瞬の瞬きのように、流れるのはあまりにもわずかな時間だ。
だから願いごとは短い方がいいのだと、古人たちは言い残したにちがいない。

サンジの願いは少しばかり長すぎた。















END


※2006ナミ誕。2006/8.23