花盗人は罪









9月に入って、しばらくしてのことだ。クラスで起こったある小さな事件に、ナミは腹を立てていた。
教室に飾ってある花が、何故か朝になると花びらが全部散っているのである。一片づつ、バラバラになって床に散りばめられた、色とりどりの小さな花びら、チューリップは床を赤く染め、黄色やオレンジのポピーはカラフルに舞っていた。 夏休み前も1〜2回そういうことはあったが、9月に入ってからは花を替える度に被害が発生している。

「坊主の向日葵はとても間抜けだわ」
昨日までは可愛く咲いていた向日葵の黄色が全てむしりとられ、今ではただの茶色い残骸となってうな垂れている。 サンジがモップで黄色の欠片を掻き集めるのを見ながら、まるで他人事のようにつぶやいたナミにゾロが声をかけた。
「おい、自分で掃除したらどうだ?てめぇが当番だろうが」
「だからこうして頭を悩ませてるんじゃないの。うるさいわね、まるで小姑みたい」
「阿呆、誰が小姑だ。ちったァ自分のことも省みろ」
「バカね。口だけだして手を出さないところが小姑みたいだって言ってるの」
「偉そうに講釈ばっかたれやがって、何にもしねぇでよく人のことがいえんな」
するとサンジはしかめっ面でゾロを睨んだ。
「…うだうだうっせえな、てめぇは。人が掃除してる傍でごちゃごちゃ文句言ってんじゃねぇ」
「てめぇはナミの下僕か?それとも何か弱味でも握られてんのか?」
「あのね、サンジくんは好きでやってるの。いやいややってるんじゃないの。暇なのゾロ?そろそろ塵取りが必要になるみたいだけど?」
「ロッカー横だぞ」、サンジが顎で道具入れをさした。
阿呆の肩なんかもたなきゃよかった。同性のよしみでついうっかり口出ししてしまったけど、余計なことしなきゃよかった。こんなバカで阿呆のことなんか…、と心でぼやきながら、ゾロはムスッとした顔で重い腰を上げた。





その数日後の早朝のことだ。ナミが当番の為に早出して、珍しく早く学校にきたサンジと、朝錬を終え授業が始まるまで教室で一眠りしようとしたゾロの3人が、偶然それを目撃した。
「…これで5回目かしら」
ナミはなにやら考え込んでる様子だ。
「そんなになるか?ナミさん」
「ええ、間違いないわ。クラスの会費で買ってる花だもの、ちょっと許せないわよね」
机に腰掛けたまま足を組み、険しい表情で考え込む彼女を見て、少し離れた場所にいたゾロはそっと静かに眼を閉じた。
ドケチで魔女、金の亡者で強欲。
これらはナミを表わす形容詞、枕詞、長年の付きであるゾロは勝手に思っている。 数学ができるのも大好きな金の計算がしたいからだ。現国ができるのはいつも人の言葉の揚げ足取りをしてるから。そして少しばかり地理に詳しいからと、それに疎い自分をあからさまにバカにする。
「おめぇは俺をバカにしてんのか?」 訊いたら、 「私?してないわよ?あんたがバカなのは私の所為じゃないもの」 そういって鼻先で嗤われたことがある。 できるだけ近寄らないようにしたいけれど、なんの因果か小学校から高校までずっと同じクラスだ。



「しかし、何が目的なんだろ?」
サンジがモップで床を掃除しながら首を傾げた。
「たいした意味があるとは思えないけど、散らかしたら掃除くらいはしてもらいたいわ。だってサンジくんに迷惑かけちゃうもん」
当番でありながら、自ら掃除するという選択は彼女にはないようだ。
「心配すんなって、ナミさんの手を煩わせるようなことは俺がさせないから」
「嬉しい、サンジくんって優しいから好き」
すると、サンジからピンク色のハートがひらひらひらひらと花びらのように舞い上がり、
「なんていい人なのかしら」
と、その 『いい人』が恋人に昇格する確率の低さに、本人は気づいているのかいないのか。
「うん、こうなったら、サンジくんの為にも、絶対犯人を捕まえなくちゃ」
「俺の為に?」
「もちろん、サンジくんの為にね」
そしてゾロが人知れず心で、その会話にツッコミを入れた。
違うだろ?何故気付けないんだ?なんでそんなに馬鹿なんだ?
おまけにうるさい、鬱陶しい、これじゃ昼寝もできない。
出来ることならずっぽり耳栓がしたい、が、当然ながらそんなものは無いので、ゾロは仕方なく心に耳栓をした。だから、
「だから、お願い」
「へ?ナミさん、何を?」
「は・ん・に・ん・さ・が・し」
たわわな胸を両腕できゅっと寄せては上げて、そして上目遣いにぱちぱちと眼を瞬かせ、グロスでぷるんと濡れた唇で、
「ね?お願いできるわよね?サンジくん」
その語尾が「くぅん」と、まるで仔犬のように甘えた声で、ナミの唇がぷるるっんと揺れると、ピンク色したハートが紙吹雪となって舞い上がったのを、ゾロは見ても聞いてもいなかった。









学校の周りは閑静な住宅地で、夜ともなれば家まで眠りに入ったかのように、あたりはひっそりとしている。
「で、何で俺まで付き合わなきゃなんねぇ?」 隣を歩くサンジにゾロが声をかけた。
「どうせ暇だろ」
「仮にも受験生だ、暇なわけあっか」
「推薦でいくくせに。暇なくせして」
「夜は忙しい」
「何が?」
「寝なくちゃなんねぇ」
すると、サンジはタバコの煙を大きく吐き出すなり、
「ここまできながら、ほんとに面倒な奴だ、てめぇは…。いいか、ナミさんが」と、サンジはまるでそこに大きな胸があるかのような仕草で両腕を寄せ、金色の睫毛を数回瞬かせ、そして上目遣いで、
「こうやって」 色素の薄い唇をきゅっと尖らせ、
「一緒に犯人を」
夜11時、白色の街路灯の下で、低く甘えた声で呟いた。
「お、ね、が、い」


「……ぶん殴っていいか?」
ゾロはこめかみがピクピクさせるも、サンジの返事はどこまでも素っ気無い。
「却下だ」
「どうして夜から行かなきゃなんねぇ?少し朝早くに行けばいいだけだろうが」
「しょうがねぇ、だってナミさんが、『あら、行くなら夜から行ってた方が確実じゃない?』って」
「今夜、花荒らしが来るとは限らねぇだろうが」
「いや、でも『花を新しく替えたばかりだから、今晩から明日が危ないわね。私の推理だけどきっと当たるわ』って、ナミさんが」
「しかもフツーはチャリだろ?何でわざわざ歩きだ?」
「だが『自転車は意外と目立つから歩いて行ったほうがいいわかも』って、ナミさんがいうには」


「……やっぱ、一発ぶん殴らせろ」
「却下だ却下。ああ、ここだ」
サンジが昼間のうちに鍵を開けておいた窓から、伺うように中を覗き込んでいる。
「ちっと狭いが大丈夫だろ。俺が先に中に入る、てめぇも後ろからちゃんとついてくるんだぞ」
そういうなり、ひょいと身軽に飛び込み、そして窓から突き出たその尻に、ゾロが思いっきり平手打ちを食らわすと、「ぎゃっ!」と叫び声と共に向こう側へどすんと落ちた。

「何しやがんだっ!」
「尻がつっかえてそうだったから、押してやったんじゃねぇか。夜中に喚くな、阿呆」
「…クソが…、怪力で叩きやがって…。腫れ上がっちまったらどうすんだ、ボケッ」
「おめぇのケツなんかどうでもいい。それよりも、一晩中ずっと学校にいるつもりか?」
「その行為こそが見張りという」
「……帰っていいか?」
「家に帰ってもどうせ寝るだけだろ?ここで寝ればいい。どうせ何処だって何時だって眠れるくせに」








夜の教室。 大きな窓に浮かぶ黄色い三日月は、まるでキャンバスに描いた絵のようだ。
「ずいぶんと細い月だ。パキンと2つに折れちまいそうだ」 サンジが窓を見上げ、ぼそりとつぶやいた。
誰もいない教室の片隅でふたり、床に座り込んでそのときを待つ。そして早くもうとうとしているゾロに向かって、サンジが声をかけた。
「おい、もう眠たくなったんか?」
そして返事がないと、
「おねむでちゅか早いでちゅね」と馬鹿にして さらに、「起きろハゲ。付き合い悪ぃぞ」、「寝るなハゲ」、「このうすらハゲめが」と繰り返すサンジに、
「…うるせぇな、ホントに…。寝てていいって言っただろうが…」
眠りを妨げられたからか、機嫌が悪そうな顔と口調でゾロが返事をした。
「寝ててもかまわねぇ、だが俺にかまえ」
「…そんな器用なこと出来るかボケ」
「あのさ、この機会に友情を深めようとか、コミュニケーションをとろうとかさ、そんな前向きな姿勢はてめぇにはねぇのか?」
「ねぇ」
「…ほら、話が終わっちまったじゃねぇか……あほくせぇ」




黄色い下弦の月。 そんな小さな明かりが、真っ暗な教室に影をつくる。
「…・・・誰もいない夜の教室ってのは、変なもんだな」 サンジが小さな声でひとりごとを呟いた。

「知らねぇ場所みてぇだ」

「でもさ、そんな闇の中でも、ナミさんの机だけはきらきら光り輝いてるからすぐわかる」

「その隣、ルフィの机の汚ねぇこと…。知ってるか?学校に大量の肉を持ってきて机に隠してやがった。そしたら肉汁が染み出てきて、そりゃあもう汚ねぇのなんの…。あれの頭の中は食いもんのことしかねぇんだな、きっと」

「そんでもって、その左後ろ。ウソの机にゃ工具だか何だか知らねぇが、これまたガラクタばかりだ。ウソップといえば、奴がお嬢様学校の子に惚れてるって噂知ってるか?頭が良くて家柄もよくて、おまけにすげぇ可愛いんだと。どう考えても無理だろ?ウソップだぞ?万が一にでもうまくいくことがあったら、俺ァ裸踊りしてもかまわねぇ」

ケケケケケー、と笑うサンジの隣で、ゾロが小さく溜息をついた。
どうしてこうも寝つきが悪いのだろうか。
夏にふたりで行った旅行でもこうだった。しかも悪いのは性格だけでなく、口も頭も悪く、なおかつ凶暴で、馬鹿のくせに喧嘩だけは無駄に強い。そう考えると、この男は人よりも若干長所が少ないように思う。全然ないわけではないにしても、非常に極端に少ない。この前の夏のことも、何故あれを誘ってしまったのか、ゾロは何度後悔したかわからないくらいだ。
そんなことを考え、黙ったままのゾロの隣でサンジが話し続ける。
「お、その3つ後ろはてめぇの席だろ。寝よだれが染み付いて、テカテカ光ってるからすぐにわかる。寝腐れさまのお席だ」
そういってはまたケケケケッと笑う。
ゾロはムッとした顔で眼を閉ざし、また考えた。
たとえばの話であるが、今、俺がこの男をぶん殴ったとしても、裁判が陪審員制度ならば自分は無罪ではなかろうか。きっとわかってもらえる。傷害罪にはならないだろう。
さらにゾロは考える。
どうしてこうも寝つきが悪いのか。
「寝れねぇのか?」 ゾロが問うと、何故かサンジは口を閉ざした。
片膝を立てたまま、無言で座り込む男の表情は髪で半分隠れてて良くわからない。
しばらくして、
「…環境が変わるとなかなか寝つけねぇ…というか、もともと眠りが浅いんかもな…」 ぼそりと呟いた言葉に嘘はないのだろう。
ぐるぐるの癖に生意気にもデリケートなところがあると思いながら、ゾロは腰をずらして、サンジのすぐ隣に、身を寄せるように体を移動した。
「もう真夏じゃねぇ、夜の教室は少しひんやりする」
すると、それを拒むでもなく、彼しては珍しく文句もいわずにそのまま瞼を閉じた。そしてゾロも眼を閉ざす。身体の半分だけが妙に温かくて、それが気持良いのかどうかもわからないまま、ゾロは吸い込まれるように意識を失った。
黄色い月がいつしか窓から姿を消して、そして静かに教室も学校も眠りについた。









「…おい」
隣で眠るサンジにゾロが声をかけた。
「誰か来る」
瞼がピクッと動き、
「…何時だ?」
「知らん」
と、ゾロに訊くと同時にサンジは自分の時計を見た。訊いたものの、はなから答えなど期待していないのだろう。
朝、6時を回ったところだ。
「この教室にまっすぐ向かってくる気配がある」
ゾロがこういった気に聡いのをサンジは知っている。
「何処かに隠れるか?ここじゃ丸見えだ」
「ロッカーはさすがに無理だ。その隣の道具入れは?それと、カーテンの蔭とか」
そしてふたりは静かに移動を開始した。



「…ったく。何でてめぇまでここに入るんだ?それでなくても狭いのによォ…」
「おめぇがカーテンの方に行かねぇからだ。いいからもぞもぞ動くな、アホ、狭いのにうっとおしい」
道具入れは狭かった。モップやら箒やら、全部出しても狭くて、しかもそこはかとなく臭う。
ぼそぼそぼそぼそ、声を潜めたまま会話して、いくら呼吸量を制限してもやはり臭いものは臭い。
「…狭いわ臭せぇわ身動きとれねぇわで…」
「ぶつぶつ言うな。もうすぐ来るぞ」
「うるせぇ、俺の頭に顎をのせんな」
「ふん、俺より背が低いんだから仕方ねぇ」
「仕方なしに膝を折ってるわけだが?クソが、 1センチしか違わねぇくせにほざくな」
「こうしなきゃ、外が覗けねぇからだ。煩せえな、おめぇは」
「ふざけんな。煩いのはてめぇの顎だ。俺の頭の上で顎をカクカクさせんじゃねぇってば。脳味噌が揺れる」
「隙間があると揺れるらしい」
「…はァ?隙間がなん…」
ゾロが声を潜めながら、サンジの言葉に声をかぶせた。
「…しっ、続きは後だ。来たぞ」

ゆっくりと教室の扉開かれる。 そして、その人物は真っ直ぐに教壇へと移動して、横の棚に置かれた花瓶へと手を伸ばした。
一枚、一枚、また一枚、宙を舞い、赤い花びらが静かに床へと散っていく。 ぶつぶつと小声で何か呪文のようなものを唱えながら、全ての花びらが床へ落ちると、大きな溜息をひとつ吐いて、そのまま教室を出て行った。



「…ウソップ?」
「何してんだ、奴は?こんな時間に」

そして床に散った花びらを見て、サンジがぼそっと呟いた。
「……もしや、まさかとは思うが、恋の花びら占いか?」
「何だ、そりゃ?」
「好き、嫌い、好き、嫌い、好きってな…」
ふたりは思わず顔を見合わせた。
「…さすがに9月も中旬になると朝は少し冷える…」
「…まったくだ…」
透き通った朝の光が大きな窓から教室に入ってきた。ゾロとサンジが眩しそうに少し眉を潜める。9月のある朝のことだった。









「被害がなくなったからいいんだけど、結局犯人は解からなかったわけね」
ナミが少し不満そうな表情でサンジを見た。
「ごめん、ナミさん…。バカと一緒にいたら俺まで一緒に眠ちまってさ…、でも俺らの気配に気付いてしなくなったんじゃねぇのかな?」
「そうかもね、でもゾロの件は人選ミスじゃない?だけど被害もなくなったことだし、これで良しとしなきゃね」
そしてもうそれに興味がなくなったのか、ナミは友人と連れ立って笑いながら教室を出て行った。

「…誰が人選ミスだ?」
ゾロが非常に機嫌が悪そうだ。椅子に大きくふんぞり返ってサンジを睨んだ。
「まともに受け取るんじゃねぇって」
「眠りこけてたのはおめぇだよな?」
「…いや、疲れてんのかもな…、いろいろ忙しくて…」
「どこの誰かは環境が変わると眠れないとかいってなかったか?」
ぐっすりと眠り込んでしまったサンジを起こしたのはゾロだった。

「で、何でウソップはアレを止めたんだ?」
ゾロがサンジに訊ねた。
「奴を納得させるというか、要は、告白するきっかけが欲しいからあんなことしてたんだろうと思ってさ」


あの日、ナミや他の生徒が登校するまでにと、サンジは近くの花屋まで走った。こんな朝っぱらに来られて迷惑そうな店主に無理をいって、ウソップがむしったと同じ花を用意して教室に飾ったのはサンジだ。 その10日後、珍しくサンジが新しい花を教室に持ってきた。 両手いっぱいの白い花。 そしてその夜、またゾロを誘って夜の教室へ忍び込んで、また不覚にも寝込んでしまってゾロに起こされた。 前回と同じように道具入れにふたり忍び込んで様子を伺い、そしてまたウソップがきて花を毟ったのを確認するや、すぐにまた花屋を叩き起こして同じ花を買い、前回以上に店主から嫌な顔をされたのは誰にも内緒の話だ。


「フィボナッチ数列だかなんだか知らないが、今まで教室に飾られた花は花弁が偶数のものが多かったようだ。チューリップとか、ポピーとかさ。偶数だと『嫌い』で終わっちまうだろ」
「じゃ、てめぇが用意したあの花は花弁が奇数だったのか?」
「マーガレットは花占いに最適らしい。花屋のおっさんが教えてくれた。花弁の数が奇数で、しかも花言葉が『恋の花占い』とか『心に秘めた愛』だとか…」
二人は顔を少し引き攣らせたまま、顔を見合わせた。
「もうそろそろ長袖のシャツでもいいかもな。少し風が冷てぇ…」
「薄ら寒いともいうぞ」







その秋、同級生のウソップに生まれて初めて彼女ができた。お嬢様校に通う同い年の可愛い彼女。どうやら将来は医者になりたいらしい。
「で、おめぇは裸踊りをすんのか?」
「へ?俺の裸がそんなに見たいのか?」 と返事したサンジも、
「阿呆か、俺の視力が下がる」
そう答えたゾロも、翌年の春にお互いのソレを見ることになるのを、まだ二人は知らない。











END


2007/3.9 [饒舌バナナ]に続きます。