3.蜘蛛の糸で引っ張ってやっからさ。いつの間にやら上書きされた記憶をぶらさげ、アヒルに乗って天国いこう





ゾロの機嫌が悪い。
仏頂面でこめかみをピクピクさせて、ずっと海を睨んでいる。
「もっとみしみし漕げねぇのかウソップ」
これじゃ日が暮れて夜になってまた朝がくると、いっかな近づく気配がない島を恨めしそうに見た。
「漕いでる漕いでる。漕いでるぞ。つうか頑張って踏んでんだこれでも。文句ならフランキーにいえ」
「こんなのこさえやがって…」
このノロマがノロマが、アヒルめとゾロがガンガンペダルを踏み鳴らし、
「ますます揺れるからやめろ。もういいから文句いうエネルギーを漕ぐ方にまわせ!俺も頑張って漕いでるぞコンチクショーーーーー!」
ウソップがやけになって怒鳴った。




「いつものミニメリーはどうした?」
「修理中だ」
「他にもいろいろあっただろ?」
「んもう、うるせぇなおめぇらは。修理中といったら修理中なんだ。スーパーな俺様が作ったものにガタガタ抜かすな。どうだ、これでも新作だぞ?イカス黄色だろ?」
コンセプトは童心だ。そういってニヤリと笑い、フランキーは自慢げに胸を張った。
「…このアヒルが?」
「…観光地の湖にぷかぷか浮かんでそうな、この屋根付ボートがか?」
「…しかも」
「人力?足踏みペダルかよっ!島まで何キロあると思ってんだっ!レトロにもほどがあんだろっ!」
二人が声を揃えて怒鳴った。
つい一時間ほど前のことだ。それから二人はずっとアヒルを漕いでいる。




「……イデッ、コンチクショー、漕いでも漕いでもちっとも進みやしねぇ」
波に揺られ、ゾロが側面で頭を打った。中は男二人が身を寄せ合ってやっと座れるくらいの広さだ。かなり狭い。
「いやいや。少しずつは進んでるみたいだぞこれでも」
「…ウソップのくせにポジティブなことぬかしやがって…」
舌打ちしてせっせとペダルを踏む。ウソップの額からは既に汗が噴き出ている。
「ウソップ」
ゾロが声をかけた。
「なんだ?」
「こうして手伝ってくれるのはありがてぇけど、お前帰りは大丈夫か?」
「帰り?」
「二人がかりでやっとなんだぞ?俺を島まで送ってくれるのはいいが、一人で漕いで船まで戻れんのか?かなりきついぞこれ」
すると、
「あ、それは心配するなってフランキーが。心置きなく島まで送り届けてやれとさ」
「何か理由があんのか?」
「あのさ」
と、ウソップがいうには、このミニミニ上陸用アヒルには帰巣機能が内蔵されているという。ようするに自分だけで船まで戻ることが出来る。
「帰巣機能?足踏みのくせに?」
「つう話だ。専用の電電虫でナミやロビンが『戻ってきてー』とか、『早く帰ってきてー』とかいえば、このアヒルは尻尾を振りながらひとりで船まで戻る。『うふん。お風呂にはいりたいの』とか速度5割増しになる裏技もあるといってた」
「は?」
「その後ナミが『誰か背中を洗ってくれないかしら…』なんて呟くと、なんと隠しターボなるものが作動して一瞬で飛ぶように船に戻ることができるらしい。フランキーいわく、コーラをすごく消費するからあまり使って欲しくないと。でもナミは『絶対そんなこと言わないから安心して』って…。ようするに動力は足踏みだけじゃなくて…」
そしてボソッと小さな声で、
「でな。コンセプトは童心だがモデルはコックだって、純粋な心と邪な下心のコラボだってフランキーがゲラゲラ笑ってたような……。それこそゾロの旅立ちに相応しく、むしろおめぇのために作ったといっても過言でないとかいないとか………」
ウソップがゾロからそっと目をそらした。
怒りや腹立ちって色になるんだ、ウソップは心で呟き、感心したように小さく頷いた。狭いボートの中が、空気がどことなくどす黒い気がする。ムスッとしたゾロから剣呑ならぬ空気が漂いはじめた。


ウソップがゴイゴイ足踏みをする。ゾロがゴンゴンとべダルを踏む。黄色いアヒルのボートは尻尾をふりふり振りながら進んでいく。
「何だこれ?」
ハンドルの横についている黒いボタンを見つけ、ウソップが押した。

んがあ

もう一度押すと、

んがあんがあ

アヒルが鳴く。3回目でほげえと鳴いた。
「…クラクションか?これまた役に立たなそうな…」
すると、
「……なにが『ほげえ』だ。人の気も知らないでのんきそうに、この…」
アホめアヒルめアホアヒルめアホめノロマめと、ゾロがペダルをガンガン踏み鳴らした。
「やめんかァ!床が抜けたらどうするつもりだアホォ!ここは池じゃねぇぞ海だぞっ!」
「寸止めすっから心配すんなっ!」
「抜ける寸前ならOKってか?やめろおおおおおおおおおお!ばかやろおおおおおお!」
ウソップが怒鳴り、ゾロが忌々しげにぼやいた。
「……ったくアホのくせに。今度会ったらどうしてくれよう…」


「ウソップ?」
さっきまで怒鳴っていたのが嘘のように、ウソップに静かになった。ただ黙っただけではあるが、何か理由があるのかとゾロは横目でウソップを見た。
「おい。どうした?」
「いや…、たいしたことじゃねぇんだが」
揺れる波にウソップがひょいとハンドルを切った。
「そのアホってサンジのことだよな?」
「それがなんだ?アホはあれの代名詞だぞ」
仏頂面でゾロはアヒルをひたすら漕いでいる。その足元がいつしか規則正しくなっていた。ガコガコガコガコ、リズミカルで軽快な音である。
「ちょっといいか?聞き流してもかまわんが、まあ聞いてくれ」
と、有無を言わさずウソップが話し始めた。
「海賊になってさ、いつも危険がいっぱいだったよな。『あ、死んだ』と思ったことなんか数え切れねぇくらいあって、俺はいつも怖くてたまらなかった。あれだけは慣れねぇもんだな。死ぬのはすごく怖い」
ひとりで納得したように何度も頷く。
「いや、実は慣れるどころか歳々年々怖くなってきてな。おめぇは笑うかもしんねぇが、自分が死んでこの世からいなくなるのかと思うと夜も眠れなくなるくらい怖くてたまらん。いや、いつもフツーに寝てるが、それでもたまーーーに眠れなくなる夜がある。海賊でも狙撃王でも怖いのは怖い、自慢じゃないがむちゃくちゃ怖い。だがな」
長い鼻をポリポリかき、照れ臭そうな顔をした。
「そんな夜はかあちゃんを思い出すんだ。そうだ、俺が死んだらかあちゃんに会えんじゃねぇかなんてさ。すげぇ海賊になってた親父のことを教えてやろう、俺が狙撃王になったなんて知ったら、かあちゃん喜ぶかな、笑ってくれるかも、でもやっぱ心配すんだろうなァ、なんて考えたりしてな……」
ウソップの足元からガゴガゴ音がする。ゾロの足元からもガゴガゴ同じ音がして、前を見たまま無言でアヒルを漕いでいる。
「なあゾロ、あの世ってあると思うか?」
「訊くな。わかるわけねぇ」
「だよな。まだ死んでねぇから誰にもわかんねぇよな。だけどどうせわからないならあると思った方がいいかもと、ここ最近はそんなことを考えるようになった。ルフィもサンジも逝っちまったからかもな」
ゾロがウソップを見て舌打ちした。
「…ったく、さっきといい、ウソップのくせに前向きなこと考えやがって…」
「これでもいろいろ考えるようになっただろ。でもネガティブじゃ、まだ人に負ける気はしねぇ」
俺をネガキングと呼べ、そういうと二人同時にニヤリと笑った。
「とまあ、これは俺の考えなわけだが、さっきおめぇが今度会ったら云々て話のとき、死んだらそこまでとかいって、神も仏も信じないおめぇでもやっぱそんなこと考えるのかと思った。長いうちにゃ考えなんざ変わって当たり前なんだが」
「あの世のことなんざ考えたこともねぇ。でもあるかないかといえば、ないと思う。死んだらそこで終わりだ。今でもその考えはかわらん。だが」
一呼吸おいて、
「ゴムゴムにヒトヒトにハナハナに、あげくにヨミヨミ。身近を見てもイカレた奴らばっかだ。こんななんでもアリな世の中じゃ、あの世くらいあっても不思議ねぇだろ」
ウソップを見てニッと笑った。
「ねぇと思うが、アリでもおかしくねぇってことか?」
同じくニッとウソップが笑い返すと、
「もしかするとアリだな」
そういったかと思うと、いきなり物騒な顔で、
「……なんせ記憶を勝手にかえられちまった。俺に血反吐はかせやがって。おもいっきり叩きのめしやがってあの野郎…。時間が経てばひとりで立ち直るものを……、おのれ眉毛め…」
ぶつぶつわけのわからない、呪詛のようなひとりごとをいった。
「なにいってんだ?」
「……いや」
「そうかすまん。訊かねぇほうがいいとようやく俺のセンサーが働いたようだ。いつもこうやって作動するのが遅いから余計なことに巻き込まれちまう…」
ふうとウソップが溜息ついた。
「お前、誤解してったろ?」
ゾロが訊ねた。
「なにを?」
「あのバカのことだが、愛情がどうのこうのと、さっきも船でそんなこといってなかったか?」
「いったかもしれんが眉毛関連はもう腹いっぱいだ」
心底うんざりした表情だ。鼻が少々萎え気味である。
「奴がどう思ってたかはしらんが、そんなのはない。そんな甘ったるいもんはまったくねぇ」
だから誤解するなとゾロがいう。
「だから訊いてねぇのに…」
ウソップが口を尖らせた。
「訊けって。男同士で愛だの好きだのフツーありえねぇだろ?しかもあのアホ相手に」
「じゃ、身体だけのお付き合いって奴か?そんな生々しい大人の事情なんざ、俺も大人だけど勘弁だぞ」
他所で話してくれと、またウソップが溜息ついた。かなり大きな溜息だ。
「微妙に違うな。身体だけの付き合いとか、そんな生臭いのは好きじゃない」
「おおおおーーーい!そっちこそ誤解すんなって話だ!好き嫌いの問題じゃねぇ!もう嫌ってくらい生臭いんだがっ!」
「あ、立つなバカ!ますます揺れっぞ!」
勢いにまかせ、立ち上がってツッコミいれたウソップは、頭の天辺を天井におもいきり打ちつけた。鈍く大きな音だ。

「死ぬかと思った」
ウソップの頭の上に、こんもりとした大きなたんこぶが乗っている。出来たてのほやほやだ。たとえ湯気が出ていてもおかしくない。
「かあちゃんに会えねぇで残念だったな」
「いや、希望をいわせてもらうなら、会うのはもっと後でいいんだ。俺は老後を楽しみたい」
たまに頭を撫でながら船を漕ぐ。ガゴガゴガゴガゴ足踏みする。
「で、愛じゃなくてセフレでもなくてサンジは普通に仲間だと、全部俺たちの誤解だったといいたいわけか。だったら話はわかる。腑に落ちない点は多々あるが、むしろ俺はそのほうがいい。じゃ話は終わりでいいよな?」
ウソップが強引に話をまとめると、
「いや」
あっさりと否定され、それじゃなんだとまた鼻が少し萎れた。
「執着って知ってるか」
「執着?特定のものにこだわることか?」
「そうなのか?昔、シャボンティで俺らのこと吹き飛ばした七武海のくまってのがいたろ。覚えてるよな?」
「忘れるわけねぇ。つうか意味しらねぇのかよ」
「うるせぇな。スリラーバーグであれが来たとき、俺を庇いやがったんだ、あのバカは。いつも身体で盾になろうとする。バカだからそれをされる方の気持ちは考えちゃいねぇ」
「仲間だからな。目の前でやられる姿はみてらんねぇもんがある」
あまりバカバカいってやるな、ウソップが注意した。
「俺がルフィを最優先するのは当然だ。奴は船長でしかも海賊王になる男だった。なのに、あのバカは俺ごと守ろうとしやがって、だから気絶させ黙らせたバカを見て、あのクマが抜かしやがった。『庇いあってるのか』てな。誰がバカなんか庇うかっ!」
「良くわからんが、俺らが気絶してるときの話だな。それとバカはもう少し減らしてやれ」
「これを話すのは初めてだったかもしれん。昔だからこまけぇことは忘れちまったが、ルフィの累積した苦痛を取り出して、あれの苦痛まで出そうとしやがったから、そいつに触るな、アホの苦痛なんざ屁でもねぇが、余計なことすんな手を離せといったら、俺を見て笑いやがった。『これはお前のか』ってな。違う、でもてめぇは触るなと睨んだら、『執着するものがあるのも悪くない』と、奴が変なツラしやがったが、なんで困ったツラする?」
「………執着?」
「だそうだ。当たってるかどうかは知らん。あの世があんのかどうかもしんねぇ、だが俺は死んだらあのバカを殴りにいくって決めた。大人しく殴られるとは思えねぇから良心の呵責とかはまったくない」
そういってゾロはまたせっせと足踏みした。
島が近づくにつれ風が吹いてきて、そしてザブンザブンと波が高くなり、アヒルのボートはよろよろと海を進んでいく。
「………そっかァ」
ウソップがぼそりと、
「……殴りにいくのかァ…。そっかァ……だから執着かァ…………サンジは死んでも大変だ…な……」
やっぱ知らないほうがよかったと、そんな小さな呟きも、力が抜けた長い溜息も、ザブンザブン、ザザザザブンとボートを揺らす波の音に消えていった。




「ハンドルから手を離すな!漕いでろウソップ!!」
ゾロが怒鳴り、アヒルの屋根に飛び乗った。両手に刀が握られている。
大きな飛沫がボートを打ち、黒い影が雲のように空を覆う。島が近くなって、海上にいきなり巨大な緑色の物体が現れ、威嚇するようにジャンプした。
「なんでこんなところに海蛙がいやがんだ!」
ウソップは悲鳴をあげながらハンドルをいっぱいに切った。その時、緊張感の欠片もなく、ぷるぷるぷると電伝虫の暢気な呼出音が響いた。ナミだ。
『ちょっとウソップ。あんたゾロを送りにいくだけで何時間かかってんの?アヒル呼び戻すのにずっと待ってんだけど、どうなってるわけ?ねえウソップ聞いてんの?もう日が暮れそうなんだけど』
「ナミか?ちょ、ちょ、ちょっと待て、今取り込み中で…」
海蛙が着水すると同時に海が割れて、波が轟音とともに弾けとんだ。
ボートが飛沫と一緒に宙を飛ぶ。
群青色の空に黄色いアヒルが飛んで、ぐるぐるぐるぐる世界が回って、空には二重の大きな虹が、そして宙に漂う水滴の中で、回転しながら楽しそうに泳いでいるのが見えた。
「……あれ…?もしやここが天国か…?アハッアハハッ、世界がアヒルでいっぱいだァー」
そしてウソップの悲鳴が空に響いた。
「ウホホホホホオッ!目が回るぅーーーーーーーーっ!」
ゾロが回転するボートを蹴って海蛙に飛び乗り、
「ここは天国じゃねぇぞウソップ!ナミがいるだろうが!気をしっかり持て!着水と同時に島まで一気に行くぞ!こいつらうじゃうじゃいやがる!きりがねぇ!」
大声で叫んだ。
『何?天国がどうしたの?まさか遊んでる?ねぇウソップ。もう待ってないでいいよね?だって待ちくたびれちゃったんだもん。ずっとずっと待ってたんだもん。本も2冊読み終わっちゃった。待ちくたびれちゃた。ごめんねウソップ。帰りは頑張ってね、応援してるね』
可愛い口調で非情なことを言われ、
「船までひとりで?アヒルなのに?そんな無茶なっ!!」
ウソップがハッと我に返った。ロビンがいない今、ナミに見捨てられたら自力で漕いで船まで戻らなければならない。それこそ冗談じゃなく、夜になってまた朝がくるだろう。
そんなことを考えてる間にも黄色いアヒルはくるくる回り続け、空に向かってぐんぐん上昇し、天辺でふわりと止まってから、すごい勢いで落ちていった。一直線で海に突入していく。
「だあああああああああ!やっぱ駄目なんじゃねぇのか?大丈夫か俺?誰か大丈夫だと言ってくれーーーーーっ!」
ウソップの肘が黒いスイッチにあたって、アヒルが『んがあんがあ、ほげえ』と鳴き、その変な鳴き声に海蛙の動きが止まって、蛙の背中を滑り台にしてアヒルは海に滑り落ち、一帯の海蛙を当身で気絶させて戻ってきたゾロはペダルを踏んだ。
「全力で行くぞ!」

「よっしゃ!」
ウソップが叫ぶ。
「行くぞ!」
「踏むぞ!」
「ガンガン踏め!」
額に浮かぶのは海の水飛沫か、または迸る汗か。キラキラ光りながら流れ落ちて、睨むように近づく島を見据え、二人は大声で叫んだ。
「ゾロよ!野郎が二人、必死こいてアヒル漕いでる姿ってどう思う!」
「俺に聞くなっ!どう見えるかなんざ知りたかねぇ!!」
「なァ、ナミは待っててくれると思うか!」
「大丈夫だ!病は気からっていうぞ!いいから踏め踏め踏めっ!」
「そうだな!気の持ちようだな!ツッコミ入れたら負けだっ!頑張れ俺っ!」
大きな波にゆらゆら揺られ、ガゴガゴガゴガゴペダルを踏んで、一直線にボートが進む。黄色いお尻をふりふり振ってアヒルが全力で島を目指す。
「もう少しだ!」
「ようやくかコンチクショー!」
「待ってろよナミ!」
「行くぞっ!」





GO GO HEAVEN!










END


2010/08.10
※ゾロ誕完了!祝えてよかった!