brothers bite it








ナミが冷蔵庫を覗いている。親の仇のように中を睨みつけ、しばらく何かを探していたかと思うと、おもむろに振り返った。
「ちょっと訊くけど、私のみかんゼリーを食べたのは誰?」
口調は穏やかだが、声深くは静かに怒っている。

「さあ、気づかなかったわ。いつ入れておいたのナミちゃん」、ロビンがコーヒーを飲みながら答えた。
「甘いのは大好きだけど、どちらかといえば柑橘系は苦手だから俺じゃねぇぞナミ」、チョッパーが読みかけの本から顔を上げた。
バーガーを頬張りながらフランキーは手を左右に振った。自分ではないとの意思表示だ。
「おい、何で俺を見るんだ?俺じゃねぇ!そんな疑わしい顔すんな!!」
ウソップが喚くと、そこへゾロが入ってきた。
「んなのはルフィくれぇしかいねぇだろ。そんなに大事なモンなら名前書いとけ」
今まで寝ていたのか大きな欠伸をして頭をボリボリ掻いた。

「書いておいたけど?」
ナミはあからさまにムッとした表情だ。
「それならルフィだ。そんなのは奴しかいねぇ。がめついナミのモンに手をつけるとはどんだけ勇者なんだ?」ウソップがゲラゲラ笑うとその顔面にフライパンが飛んだ。


リビングの扉が蹴られ、そこへ両手いっぱいに荷物をかかえたサンジが帰ってきた。
満面の笑みだ。
「大漁ーーー!やっぱあのスーパーは閉店間際に限るぜ!見ろよ、この見切り品の山!」
その姿を見て、ロビンが申し訳なさそうに微笑んだ。
「…ごめんなさい。いつもあなたにばかり頼ってしまって」
実をいえば、ロビンは冷蔵庫の中を見たことがない。開けたこともない。包丁も持たなければ、もちろん買出しに行ったこともない。有能な彼女は外資系に勤務している高給取りだ。だが、仕事を言い訳に使ったりしないし、たとえ休日であっても彼女がキッチンに立っている姿を見たものはいなかった。
そんなロビンの代わりをしているのがサンジだ。彼はバイトをしながら専門学校に通っている。

「…サンジくん。ルフィに私のデザート食べられちゃった…。ちゃんと名前も書いておいたのに…」、上目遣いでサンジを見る。そんなナミの為に、鯨の生け作りだって、たとえ海獣の女体盛りだろうと、彼は頼まれなくても作るに違いない。
「ウチには鼠がいるの。大食いで頭が黒い鼠なの。たとえ名前が書いてあっても、鼠の目にはそれが見えないらしいの」






その深夜のことだ。
リビングでうたた寝していたゾロは自分の鼾で目を覚まし、眼を擦りながら自室へと戻った。
狭い部屋にはフランキー手造りの二段ベッドが置かれてある。上がゾロで、下はサンジの場所だ。毛布を抱き枕のようにぎゅっと抱きしめて寝ている。パジャマはピンク色。そのパジャマの裾から脇腹がチラリと覗いていた。
「………う…ん…おにいちゃんが…」
そんな寝言をいいつつ、ぐるぐる巻いた眉毛がへにゃりと下がった。実に幸せそうだ。

「おにいちゃん?」
ゾロは首を傾げると、また頭をぼりぼり掻いた。そして、幸せそうに眠るサンジの、そのピンクパジャマのパンツを指先で降ろした。
半分だけ尻が出た。ようするに半ケツ状態だ。
軽く指先で突いてみた。意外と硬く、つくって半日くらいしたお供え餅に感触が近い。二三度突いて、そして何を思ったか、夜目にも白いその小さな尻に、ゾロは無言で齧りついた。






「サンジ、入ってもいいか?」
僅かに開けられた風呂の扉から、青い鼻先がにょきっと出た。
フランキー一家の風呂はでかい。余裕で数人は入れる程の大きさがある。部屋数はさほど無いのに、風呂だけデカイのが自慢だ。
「チョッパーか?」
丁度身体を洗い終えたところだ。チョッパーが入ってくると同時に、サンジが湯船に向かった。
その後姿を見て、チョッパーの青い鼻がぴくぴく動いた。
「サンジ、尻に歯型がついてる」
「ああ、これな。躾のなってねぇケモノに噛まれた」
サンジは湯船で四肢を伸ばし、すっかりくつろいだ表情だ。
「獣?だけど歯型が人間のものだぞ」
「いや、ケモノというよりケダモンだな。そういや知ってるか?鮫ってバカだからそれが食いモンがどうか、齧ってみて確かめるんだと。な?バカだろ」
サンジがケケケッと笑った。

蹄の間にスポンジを挟み、ちまちまと身体を洗うチョッパーにサンジが近寄った。
「どれ。背中でも洗ってやるか。デカクなんじゃねぇぞ。面積が広がって容易じゃねぇ」
体毛で泡が立ちやすいのか、チョッパーは瞬く間に白い泡だらけだ。
「怪我の手当てをしなくて大丈夫か?」、チョッパーが訊ねた。
「放っておきゃ勝手に治る」
そういって小さな背中をごしごし洗い始めた。

「実はな、ナミさんが『ナミにみかんゼリー作って』って甘えてきてさ。そんなこと言われた日にゃ、もう俺は作ったね!世界中の海がオレンジ色にぷるぷる輝くくらい作った!そしたらさ、『バカね、おにいちゃん。海がなくなっちゃったじゃない』って!どうよ?おにいちゃんだぞ、おにいちゃん!」
まるで天下を取ったかのように笑った。
「へ?それってホントにナミ…」
チョッパーの言葉を遮って、
「で、ナミさんが『んもう、おにいちゃんてば…』ってむくれてな、頬を膨らませたその顔が可愛いのなんの!」
サンジの話が続く。
「おにいちゃんは何でもしてやろうと思ったさ!」

「なんつうか、その怒ってる顔が、『めっ』って感じなんだよな。ロビンちゃんだと忙しそうだから俺がなんとかしてやらなきゃって思うんだけど」

「あのキレイな手が傷ついたらと、危なっかしくて包丁も持たせらんねぇんだけど」

「うん。俺も赤いリンゴは食いたくねぇ」チョッパーが頷いた。ロビンがかつて1度だけリンゴを剥いたとき、白いはずのリンゴが真っ赤に染まったことがある。

「だからロビンちゃんはいつもすまなそうに俺に微笑むだけなんだが、ナミさんは俺がどんだけオレンジの海をつくっても『めっ』って叱るんだぜ?『めっ』って。何で妹っちゃあんなに可愛いんだ?嫁にはやらんぜ、ナミさんっ!!!」
たまらんといった感じでチョッパーの背中をバンバン叩いた。

「…いで。叩かなくていいから、もっと背中のまんなかを洗ってくれ」
「ここらへんか?」
サンジがごしごし洗う。
「そうそう」、チョッパーがコクコク頷いた。
「それでな、目の前がもう一面のオレンジ色の海で、ゼリーがきらきらぷるぷる波打ってたりして、その海を見ながら 『おにいちゃん。ずっとナミのこと守ってね。お願い。約束してくれる?』 って俺を見つめてさ」
それはもうナミでない。チョッパーは話にツッコミ入れるのをやめた。ありえない話である。
「世界中が甘酸っぱいオレンジの香りに包まれたとき、俺は言ったね。『大丈夫だ。おにいちゃんがずっとお前のことを…』」
にょきっと生えた角の天辺から、ザブンとお湯をかけた。
「っていいかけたら、ケツを噛まれた」
肩に、背中にお湯をかけて、泡をザーザー洗い流して、
「よし。洗い終わったぞ」
サンジが最後にニッと笑った。
「痛てぇのなんの。いい夢だったのによ、クソが」






「何でいつも勝手に食べちゃうのよ!」
それから数日経ったある日のことだ。ナミの大きな怒鳴り声がキッチンに響き渡った。
「何で確認もしないで俺だって決め付けるんだ!?確かに食ったのは俺だがナミは勘違いしてるぞ。俺が勝手に食ったわけじゃなく、ゼリーが勝手に俺の口のなかに飛び込んで」
この言葉を聞いたナミがフライパンを手にすると、
「ナ、ナ、ナミさん!ダメだ、やめてくれ!フライパンが壊れる!!」、サンジが叫んだ。

「いいこと」、ナミはルフィの前に指を一本立てた。
「ひとつ。自分のものには名前を書く」
もう一本指を立てて、
「ふたつ。人の名前が書いてあるもの、人のものは食べない」
Vの指をグイっとルフィの顔面に突きつけた。
「わかった?たったふたつだけ。猿だって覚えられるけど、もしも無理ならひとつだけでいいわ。人のものは食べない。これだけ覚えておいて」
「じゃ訊くが、食いモンが勝手に口にダイブしてきたらどーすんだ」
「ダイブしてこない」
「もしもプリンが冷蔵庫を開けたとたん俺の口めがけて」
「もしもはないの」
「たとえば魚が俺に食われたそうな」
「顔はしない」
「何でそう頭ごなしに否定するんだ?知ってるかナミ。世界は不思議でいっぱいなんだぞ!」

「ルフィ…」、ナミが両手を腰にあて、仁王立ちでルフィの前に立ちはだかった。
「あんた、私のいうことが聞けないの?私がキレイでチャーミングで優しい姉だからって甘えてる?この私に、おねえちゃんに歯向かうつもりなのかしら?」
声は低く怒気を含み、物騒な気がゆらゆらとナミから立ち昇るのを見て、
「………ハム買うつもりはねぇぞ。てか、ハム食いてぇ…」
ルフィが不満気に口を尖らせ、小さな声でつぶやいた。

その晩、サンジの尻に、何故かまた歯型が増えた。






11月に入るといきなり夜が冷えこんできた。
サンジが風呂から上がり、部屋に戻ると既にもうゾロが寝ていた。肌寒い晩なのに、大の字になって片足をベッドから出したまま、ガーゴー鼾をかいて寝ている。
「うるせぇ」、下から声をかけた。が、当然ゾロの耳には届かない。
サンジはベッドの簡易階段に足をかけてゾロの様子を見てみた。とても気持ちよさそうに寝ている。そしてベッドに大きく身を乗り出し、ゾロの捲れ上がったシャツをさらにたくしあげ、そっと顔を近づけると、その脇腹をガブリと遠慮なしで噛んだ。

「…っ…でぇ」
ゾロが呻く。そしてその身体を足で押した。ぐいぐい押して、
「ほら。もっと向こうへいけ。入れねぇ」
サンジは自分の身体を、無理やりその隙間へと押し込んだ。

「……あ?」
反応が鈍いところをみると、まだ半分脳が寝ているようだ。が、ようやくその状況が読めてきたのか、
「何だってんだ、てめぇは。毛布に芋虫でも付いてやがったか」
背をむけたまま文句をいった。
「気色悪ィこというな。俺の好意を無下にするつもりか、アホめ」
「好意?」
「今夜は寒い」
「…てめぇがな」、ゾロは半分欠伸で返事を返した。

静かな夜だ。庭で虫が鳴いている。
「チョッパーが将来医者になりてぇんだと」
ゾロの背中に向かって、サンジがひとりごとのように呟いた。
「でもトナカイだから人間と同じってわけにゃいかねぇ。だけど遠い北の地で、面倒みてくれる奇特な奴がいるんだとさ。優秀なら学費免除だ」

リンリンリンリン。サンジが口を閉ざしたせいだろうか、やたら虫の音が響いて聞こえる。
黙って聞いていたゾロが口を開いた。
「奴ァ、あれで努力家だ。ちゃんと苦労も知ってるし人の情けも知っている。何処へ行っても大丈夫だ。きっとうまくやっていけんだろうさ」
サンジが頷いたのか、頭がこつんとゾロの後ろ首に当たった。


チョッパーがフランキー一家にやってきたのは7年前だ。朝から小雪が降る寒い日だった。現場仕事から帰ってきたフランキーが道具箱と一緒に、泥にまみれた得体の知れない物体を連れ帰ってきた。
「拾ってきた。怪我の手当てをしてやってくれ」
そういって、ナミの手にその物体を渡した。
「どうしたの、これ?」「やだ、酷い怪我してるじゃない!」「ちょっと、どこで拾ってきたのよ!」喚くナミにフランキーがニッと笑いかけた。
「そこら辺だ。かあちゃんにプレゼントな。きっと喜ぶぞ」
そして、
「アウッ!今日も俺様はスーパーだぜ!」
いつものポーズをした後、ガハハと高らかに笑った。

最初はルフィだった。
ロビンの遠縁の子にあたるルフィは、両親が亡くなってひとりぼっちになった。ちょうど5歳になったときの話だ。引き取ったのが結婚したばかりのフランキー夫妻だった。
次はウソップ。
ルフィが一家に加わったその2年後、ウソップが7歳のとき、フランキーによって連れてこられた。
それからは毎年だ。
その翌年にはナミ。9歳になったばかりのナミを同じくフランキーが連れてきて、その翌々年には11歳になるゾロとサンジを、ロビンが遠い出張先から手土産のように連れ帰った。
いずれも養護施設とかで問題がある子供ばかりだった。
ウソップは嘘つきで、ナミはケチで手癖が悪く、ゾロとサンジは凶暴で大人から持て余されていたらしい。


リーリーリーリー、虫の鳴き声が変わった。
「来年にはナミさんも卒業だ。頭いいから奨学金で進学するらしいが、此処から通うとはかぎらねぇ。もしそうなったら俺ァ大泣きしちまうかもな」
サンジが話し続ける。
「もしもついでで言うけどよ、もしも俺がこの家出てったらどうなると思う?フランキーはロビンちゃんの赤いリンゴを食わされんのか?」
「どうとでもなる。誰かが抜ければその役割を他の人間が補う、そういうもんだ」
すると、サンジが低い声で笑った。
「じゃ、誰がてめぇの替わりに寝腐れるんだ?そんな暇を持て余したヤツがこの家にいんのかよ」


リリリ、リリリ、甲高い虫の音が聞こえる。
「お前、やっぱ下で寝ろ。狭いし背中にくっついていられると妙に落ち着かねぇ」
「てめぇが向きを変えればいい」
チッと舌打ちしつつも、ゾロが寝返りをうった。珍しく素直な行動だ。
暗い闇のすぐ傍に互いの顔がある。息が、呼吸が、その存在が驚くほど近い。
「…とはいったものの、どうにもダメだ。妙に居た堪れねぇ…」
そういってサンジは自ら身体の向きを変え、くるりとゾロに背を向けた。

低い声が背中から語りかけてくる。
「もしもお前が出てったら、悲しむ奴がいるかもしんねぇ」
「ロビンちゃん、ナミさんが悲しむのは知ってる」
「いや。まず確実なのはルフィだ」

「もしもおめぇいなくなったら泣く奴がいる」
「…知ってる。ナミさんが泣く」
「フランキーはあれでかなり涙もろい。奴ァ絶対に泣く。ボロボロ泣くに違いねぇ」

「もしも出てくとか言ったら、引き止めるヤツもいんじゃねぇか?」
「ナミさんやロビンちゃんに行かないでといわれたらやばい。振り切れる自信がねぇよ…」
「ウソップはおそらく必死で引き止めるぞ。ナミの作る飯は高いからな」
「……嫌がらせか?手の込んだ嫌がらせしやがって、クソが…」

ふいに、ゾロの息がサンジの後ろ首にかかった。低く、小さく、静かな声が耳に届いた。
「この場所は居心地良すぎて、たまに息苦しくてしょうがねぇ…」
「だろうな。てめぇみたいな男は外でその無駄なエネルギーを発散してくるといいんだろうさ。ケンジュツとやらで、世界一でもなんでも好きなの目指せばいい」


リリリ、リーリーリー、庭で様々な虫が鳴いている。
ゾロがもぞもぞ身体を動かすと、
「今度ケツに齧りついたら承知しねぇ。ガブガブ好き勝手に噛みやがって」、サンジが牽制した。
「アホ。ちっと背中を掻いただけだ。てめぇだって俺を齧りやがったの忘れたんか。それにこの姿勢でケツが齧れるかアホンダラ」
そういってから、
「○×*○、*○○×st.12-11」
ゾロが呟いた。
サンジが返事をしないでいると、
「○×*○、*○○×st.12-11」
また同じ言葉を繰り返す。

「良く覚えられたな。てめぇにしちゃ上出来だ」
「うるせぇ。場所を見失っても住所さえ覚えてりゃどうにかなる」
そういって、またその住所を口にした。
「行かねぇからな」
「来いとはいってねぇ」
そういいつつも、また言葉を繰り返す。
「○×*○、*○○×st.12-11。海が近く、新鮮な魚介類が豊富で、街の治安はよくねぇが気候は温暖で住み易いって話だ。海がどこまでも真っ青らしい」


リリリ、リリリ、リーリー、リリリ、リーリーリーリーリー、リリリ。
終りゆく秋を惜しむかのような、それは虫のオーケストラだ。
「ルフィもウソップもいずれ自分の道を歩んでいく。だが、フランキーとロビンが残されるわけじゃねぇ。帰るところはひとつしかねぇしな。此処は聖域だ」

サンジがゆっくり身体を起こした。
「やっぱ下で寝る。どうもここは寝心地悪ィ」
すると、その後ろ首をシャツごといきなり引っ張られ、サンジがゲホゴホ咳き込んだ。シャツが喉に引っかかって、故意ではないにしろ、首を絞められた形になった。
「こんな時間だ。もういいからここで寝てけ」
「…かはっ…殺されるかと思った」
その首の後ろが今度はチクチクする。ゾロの短い毛がひどくくすぐったく感じる。
「…寝らんねぇ」
「ためしに30数えてみろ。口に出さなくていいから」
サンジは無言で数を数えた。

「…30だ」
「じゃ、もう30だ」

リーーリーーリリリーー。数を数えている間は虫の声しか聞こえない。
「…途中で数がわかんなくなっちまった。…眠い。いっておくが、いくら一緒に寝てるからって、俺にヘンなことしやがったら殺す。首絞めたらぶっ殺すぞ」
「ドアホ。ここは聖域だっていっただろうが。いいからもう一度30数えてみろ」
そう言いつつ、ゾロはサンジに話しかけた。

「お前、覚えてるか?」
低い声が背後から耳に語りかけてくる。
「俺はイーストの施設から、おめぇはノースからだった。俺が来て、その2ヵ月後だったな。生意気で根性悪くて口も頭も悪く凶暴で、こんな嫌な奴が世の中にいるのかと思ったが、なのにフランキーが二段ベッドなんざこしらえやがったから、ずっと一緒にいるはめになっちまった」

リンリンリンリン、虫の鳴き声がだんだん小さくなっていく。
「覚えてるか?ひでぇ嵐になった夜、風が轟々うなりを上げた晩だった。てめぇはあん時もヘンな理屈を抜かして俺の寝床に入り込んできやがったろ」

――覚えてるか。

何度も繰り返される問いかけは、まるで子守唄のようだ。
サンジは本気で数を幾つ数えたかわからなくなってしまった。目蓋がたまらく重くて仕方がない。
どんどん気が遠くなるのを感じながら、やっとの思いで声を絞り出した。
「…後だ。…後で…話の続き…文句を言いに…なら、行ってやってもい…い…」


眠りがとんとんとんと背中からやってくる。
うとうとしながら、サンジは明日の夕食のことを少しだけ考えた。やはりメインは海獣の肉がいいだろう。できるだけ新鮮で油ののったものが。
フランキー一家から旅立っていく長男の送迎会は、同時に彼の誕生会も兼ねている。盛大なものになるかもしれない。おそらく大泣きするであろうフランキーやチョッパー、そしてみんなの顔。憎まれ口を叩きながら顔をくしゃっと歪め、目に大粒の涙するナミの顔が目に浮かぶ。

眠りに陥る寸前に、近くて遠いところから声が届いた。
それは低く、深い海底の流れにようにゆるやかで静かな声だった。
「……ケツを齧られるくれぇで済んで、お前は俺に感謝しろ」

夢か現か。返事をするには、ここで反論するにはあまりにも眠すぎる。
明日、すべてはまた明日からだ。
蒼穹と青海、サンジの瞼の奥には別の世界がある。
夢の中に浮かぶその景色はどこまでも青く、水平線は緩やかに弧を描き、終わりのないほど広く大きな海だった。

静かな夜だ。雑草の生えた小さな庭で、秋の終わりを奏でる虫たちもようやく眠りについたらしい。代わりのように、遠くでパーーンと車のクラクションが鳴り響いた。








END


2008/12.14