雨跡








「また、雨だ」
ぽつりぽつり、大粒の雨をおとす灰色の空を見上げ、サンジが微かに笑った。











「おい、お頭は?さっきまでいたよな?」
ヤソップが腰掛けたまま辺りを見渡し、そして同じテーブルにいる仲間に訊いた。
さして広くもない場末の酒場は汗臭い男の体臭と食い物、そして煙草とアルコールのにおいで充満している。下卑た笑い声と怒鳴り声が飛び交い、タバコの煙が白い霧のように中空を漂う。
「便所じゃねぇのか?」
男が答えると、
「チクショー、前にひっかかっちまった」、濡れた手をひらひら振りながら、もうひとりの仲間が席に戻ってきた。
「酒の飲みすぎだ、バカが。ションベンついた手でそこらに触んじゃねぇぞ」
ラッキー・ルウが大きな骨付き肉を手に、露骨に嫌そうな顔をした。飯が不味くなるのが嫌なのだろう。
「そんなんついてないっすよ、手ぇ洗ったから濡れてんじゃないっすか」
その男に別の男が訊ねた。
「おい。便所でお頭を見たか?」
「お頭?いや。便所にゃいなかったが」
「ったく、ふらふらと何処にいっちまったんだか」
ベン・ベックマンは小さな溜息をついた。
姿が見えないからといって、別に心配しているというわけでない。いくら片腕がないとはいえ、彼の強さは充分すぎるほど知っている。そこらの敵にやられる訳がないのはわかっているが、ただ、海軍も駐留しているこの島で面倒なことに巻き込まれなければ、厄介な揉め事はできれば持ち帰らないでほしいと、それが溜息となって彼の口から吐き出された。

「チクショー、雨が降ってきやがった!親父、なんか拭くモン貸してくれっ!」
また仲間のひとりが外から戻ってきた。
雨くらいで大袈裟な、ヤソップがそう心で思っていると、
「なんか今日の雨はやけにピリピリすんぞ」
投げ寄こされたタオルで、男がすぐに体を拭き始めた。
「随分とデリケートなお肌だな、おい」
「乙女かてめぇは」
ガハハハハ、仲間が笑う。すると酒場の主が口を挟んだ。
「この島の雨は酸性雨だ。火山ガスを多量に含んでるからな。少しなら問題ないが、あまり長くは雨に打たれないほうがいい」
淡々とした落ち着いた声だ。
「だからヒリヒリすんのか、つうか、大丈夫か、お頭。あんな所で雨に濡れたまま突っ立って」
「お頭に会ったんか?今、何処にいっちまったんだって話してたところだ。どこで見かけた?」
「外でどこかの野郎と立ち話してる」
「どんな?」
「金髪の。若そうな男だったが」
「金髪?」
「なんか見たことある気がすんだが、でも何処で見たのか全然思い出せねぇ」
男が首を傾げ、
「会ったことあると思うんだよな」
濡れた頭を乱暴にタオルでこすった。











「アンタも風呂に入ったらどうだ?ここの雨は酸性が強いらしい。禿げちまうぞ」
バスタオルを腰に巻き、サンジが訊ねた。シャンクスは手にした酒瓶をテーブルに置いて、すれ違いざまに低く呟いた。
「逃げんなよサンジ」
「その気ならとっくにそうしてる」
その返事にニッと笑い、タオルを肩にかけ、ゆっくりと風呂へ向かった。





「3年前になるか?あん時はまだションベン臭いガキだったが」
風呂からあがるとシャンクスはベッドに腰掛け、横になって煙草を吸うサンジの髪に触れた。
湿ったままの金髪に触れ、そしてまるで子供をかまうように、髪を乱暴にぐしゃぐしゃにする。その手を払い除け、
「ガキあつかいはやめろ。それとも、アレか?もしかするとガキ臭ぇ方が好みだったか?アンタにそんな趣味があるとは知らなかったが、残念ながら俺は大人になっちまった」
シニカルな笑みを浮かべるサンジの口から煙草を外した。
「大人に?」
タオルの前を開き、おもむろに手を差し込んで、「萎えているが?」、そう言うと、
「大人だからな」、サンジがククッと小さく喉で笑った。


そのサンジの手に、シャンクスは小さな瓶を手渡した。
「これで?俺が?自分でか?」
放っておくとどこまでも不平不満をいいそうな口は手で塞ぎ、
「大人なら、そんくれぇ自分でできんだろ?」
できなくはないだろうが、やったことがないというのが答えだ、が、サンジはそれを口にしなかった。
「それとも初めての時みてぇに、俺が丁寧に塗りほぐしてやるか?それなら瓶を寄こせ。無理にとはいわん」
「そんなに丁寧でもなかったぞ。それに出来ねぇとはいってない」
青い眼が睨みつける。
この勝気なところは長所であり、同時にこの男の弱点でもある。場合によっては言葉で操られやすい。
「怖いか?」、訊けばすぐにムキになる。
「無理するな」、真っ赤な耳元でそう囁き、強張る体を愛撫すれば、「してねぇ」と、微かに震えながら抱きついてくる男を、初めて抱いたのは3年前だ。大人になりきっていない、まだ少年の面影を残していた薄い体だった。
数回抱き、自分の船に誘ったらあっけなく断られた。
出航の朝、空はどんよりとした雲に覆われ、あの日もまだ雨が残っていた。何もいわず、自分達を見つめる青い眼をシャンクスは未だに覚えている。


「見るな」
サンジは自分に向けられた視線に抗議した。脚をひらいたまま膝をつき、自らのアヌスに指を入れる。1本から2本、オイルのぬめりですぐに3本入るようになった。
「何だ、嫌か?」
訊かれて、今度は何故か顔が熱くなった。
隠すように顔を男の肩にのせるとサンジの脳裏に3年前のことが蘇った。赤い髪と屈強な硬い筋肉、傷痕をのこした皮膚や匂い。誘われ、ささやかな好奇心から、初めて人の肌に触れ、その温もりと呼ぶには激しすぎる熱が体にフラッシュバックしてくる。

右の乳首に触れられ、思わず声が漏れた。その小さな肉の芽を摘んでは捻り、指先で転がす。まるで猫がおもちゃで遊ぶように、執拗にそこばかり弄る。
触れられない左が疼いた。
「随分と感じやすい。前からそうだったか?それとも、自分で弄ってるからか?」
「…うるせぇ。それよりほぐれた」
手首を掴んで股間から抜き、オイルに濡れた指先を眺め、
「もう3本も入るとは、さすがに大人は違う」
笑いながらシャンクスがその指を口に含んだ。サンジの顔がまた熱くなる。


肩に置いた手で身体を支え、正面からゆっくりと腰を沈めて、それをすべて呑み込んだ。
シャンクスが微かに笑う。
「前はあんなに痛がってたくせに、すんなりと挿れやがって。あれから何を覚えやがった?」
「…俺のプライベートに口出しすんな。アンタはどうせ通り雨みてぇなもんだ」
「生意気な口を叩くな。あのとき無理やりにでも連れて行かなかったのを拗ねてるのか?」
「アホか、あの船だけはお断りだ」
「何故?」
「……アンタの女扱いはされたくねぇ」
そしてシャンクスが声をだして笑った。
笑われたことにムッとする男の、真っ赤な耳の後ろに額をつけ、
「そうか、男になったのか」
「は?俺は最初から…」
次の言葉を遮った。
「もういい。今は少しでも時間が惜しい。お前、動けるか?それとも、俺が動くか?」
青い目に一瞬だけ浮かんだ戸惑いはすぐに消え、ゆっくりと腰を浮かし、また沈めて、乱れ始めた呼吸を合図に、シャンクスはその体をベッドへと倒した。













「サンジ」
押し寄せてくる大きな波に抗いもせず、サンジは軽く意識を飛ばした。3回目に放った後だった。
自分を呼ぶ声に気づき、驚いたように身体を起こすと、
「どうした?」
「……え?」
「何をそんなに驚いてる?」
「…いや。いきなり名前を呼ばれたから…」
ヘンなヤツだとシャンクスが笑った。

「悪かねぇ」
サンジは白い腕を伸ばし、目の前の首に軽く絡ませた。
「何が?」
「他人と体を交わらせ、ぶっ飛んじまうと訳が解からなくなっちまう。だけど名前を呼ばれるとすぐに自分に戻ってこられる」
だから、と。
汗ばんだ肌に唇を落とし、そのまま腕の傷を愛撫した。盛り上がり、歪んだ肉の痕を優しく舐めた。
「もっと」
啄ばむキスを何度もして、
「呼べって」
強請ると、
「名前くれぇで」
もう片方の腕をサンジの腰にまわし、
「お安い野郎になってんじゃねえぞ、サンジ」
仰け反って笑い、震える喉に、シャンクスは名前を呼びながら噛みつくような唇を落とした。

「いやらしい身体になっちまって」
そう囁く男の燃えるような赤髪に顔を埋めて、耳のピアスを口に含んだ。

「しかもケツでイきやがった」
顔に刻まれた3本の傷跡、それを舌先で啄ばみ、

「やらしいツラして、生意気に声なんか殺しやがって。いつも何処でやってんだか」
口に含まされた2本の指を舐め、

「今、誰とやったと思ってんだ?ふざけんなよ、サンジ」
片腕で乱暴に抱かれ、嫌がらせのように上からぎゅうぎゅう圧し掛かられて、ゲラゲラゲラゲラ声に出して、サンジが笑った。








「ルフィに会っていかねぇのか?ここの沖合いに停泊してんぞ」
シャツのボタンをとめながらサンジが訊ねた。
「いや、海軍にわざわざ仕事をくれてやることもあるまい。それに時期がくれば、おのずと会えるはずだ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ。それよりもまだ雨が降ってる。もう少し雨宿りしたらどうだ?仲間が酒場にいるから一緒に飲まねぇか」
「食料の買出しにちょっと寄っただけだから、そう長居はできねぇ。俺一人だし、ウソップらに心配かけちまう」
「雨が降ってるのにか?酸性雨で溶けちまうぞ」
「溶けねぇって。だけどアンタのことを忘れねぇでいられるかもな。雨の痕が残る」
「抜かすな。すぐに忘れちまうくせに」
「お互いさまってやつか?」
そう言って、黒いスーツの上着を身に纏った。どう見てもコックにはみえないいでたちだ。



窓から見える街は錆びて暗い色をしている。酸性の雨が、ゆっくり静かに街を溶かしてゆく。
「アンタって雨男?」
「いいや。だがお前と会うときはいつも雨だ」
シャンクスは窓から雨に濡れる、錆色の街を見た。
低い雲から落ちてくる雨粒は降り止む気配がない。


扉の前で、買出しの荷物を抱えたサンジが立ち止まった。思い出したように振り返って、

「俺さ、マリモを飼ってる」

「マリモ?あの水の中にいるヤツか?」

「ロクなモンじゃねぇぞ、バカで。だが飼ってりゃ多少は情が湧く」

「どれくらいバカかといえば、水で育つわけだが、生意気なことにキレイな水を好むらしい。ここの島みてぇに酸性だとやばいらしいが、うちのは並みのバカじゃねぇから泥水だって全然問題ねぇ」

そして、

「つまんねぇ話をしちまった」そう言い残して去っていった。宿の窓から雨の中を走っていく男の後姿が見えた。










「お頭ァ!何処に行ってたんで?いきなり居なくなっちまうから、何かあったかと思ったじゃねえっすか」
新入りのロック・スターが席を立って声をかけた。
「知り合いに会っちまった」
「あ、麦わらっすか!ここの沖にきてるらしいっすね」
「バカ!お頭が会ってたのは金髪の野郎だって俺が言っただろうが!何で麦わらだ!」
「麦わらといえば、あいつら全員の手配写真を手に入れた。見るか?」
男が取り出した紙に、皆がテーブルを囲むように身を乗り出した。

「そげキング?何だコイツは?ずいぶんと長ぇ鼻だぞ。これも仮面か?」
それを見たヤソップは少ししんみりとした顔をした。
「どうしたんすか?」
「…いや。なんか懐かしい感じがしてな。なんでか知らんが故郷を思い出しちまった」
「故郷?嫁さんでも残してきたんすか?」
「お前、ヤソップさんにもいろいろ事情がある。立ち入ったことを訊くんじゃねぇ」
「お前も余計な気遣いはすんな。それより、ロロノアも若いのにたいした賞金額だ」
「ロロノア?ああ、海賊狩りか。このマリモみてぇな頭をしたヤツだな」

「マリモ?」
酒を飲んでいたシャンクスがその会話を耳にして振り返った。
「知ってたんですかい?『イーストの魔獣』とか言われてましたけど、髪がマリモみてぇに緑色なんっすよ」
「コイツがロロノアか?」
テーブルに置かれた手配写真に視線を落とした。精悍な顔立ちをした、我が強そうな男だ。

「何だコイツ?写真じゃなくて絵だぞ」
もう一枚の手配写真を男がテーブルに置いた。
「黒足?こいつも聞いたことがねぇな。だがいきなりこの賞金額か?」
「サンジって名前、どこかで聞いた覚えがあるような」
「そういや、昔いただろそんな名前の奴。コックでさ、妙にお頭に懐いてやがった。えらく生意気で凶暴なガキだったが」
「しかしこの絵、特徴をとらえてあるんだか、ねぇんだか…」
ヘンな顔。そう言った男の指先にある絵を見て、シャンクスがブッと吹き出し、そして大声で笑った。















END


※拍手御礼SS。
2007/10.4 UP。